Home > Highlighting JAPAN > Highlighting JAPAN 2010年12月号 > 東京の水道の始まり:玉川上水(仮訳)
それまで小さな地方都市にすぎなかった江戸(現在の東京)は、江戸時代(1603〜1868年)、日本の政治の中心地として大きく変貌をとげた。1609年、約15万人だった江戸の人口は、1700年代半ばには100万人以上に増加したといわれている。
そんな江戸の爆発的な人口増加とともに問題となったのが、水不足だった。もともと江戸の大部分は、海辺の湿地や台地を埋め立ててつくられており、井戸を掘っても海水が染み出す、水の乏しい土地だった。江戸幕府初代将軍の徳川家康は、江戸という新しい都市をつくるに当たり、まず近隣の湧き水やため池を利用した上水を整備した。しかし人口が増えるにつれその給水量ではとても間に合わなくなり、1652年、幕府は江戸市中から約43kmも離れた、多摩川上流部から水を引き入れるという壮大な計画を立てた。これが「玉川上水」の始まりだ。
玉川上水の凄さは、そのスケールもさることながら、これをわずか8ヵ月で完成させたことにある。いったいどれくらいの人数が工事に関わったのかは不明だが、それだけ江戸の水不足は深刻であり、急ピッチで工事が進められたことがわかる。
また、江戸市中までの高低差が少ない(約43kmで約92m)中であったが、ゆるやかな勾配を綿密に測量し、自然流下でうまく流れるよう設計されている。
玉川上水は、飲み水として使えるよう、幕府によって徹底的に管理された。水源林を管理するほか、各所に"水番人"を置いて見張らせ、水を汚したものに対しては罰則があった。また、長屋の大家や大名から"水銀"という水道料金を幕府が徴収し、不具合が生じたときにはすぐに幕府直轄で修復工事ができる制度も整えられた。
玉川上水は、過去の遺物ではない。多摩川からの上流約12kmでは今でも、350年以上前に建設された水路に清らかな水をたたえ、現役の水道施設として使われている。
現在、蛇口から出る水を問題なく飲める国は、世界中で十数国しかない。日本もその国の一つだ。今月号は、そうした安全な水を供給するために、日本が長年に渡って積み重ねてきた知恵や技術を特集する。
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