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Highlighting JAPAN

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ものづくり

パン・アキモト(仮訳)

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大地震にみまわれたスリランカやハイチで多くの被災者に喜ばれ、またスペースシャトルに乗って宇宙まで行った日本製品が何か、ご存知だろうか? 答えは『パンの缶詰』。栃木県那須塩原のパン屋さん、パン・アキモトが開発したこの商品は、1995年の阪神淡路大震災での被災者支援をきっかけとして生み出された。柳澤美帆がレポートする。

私たちが食べているパンの消費期限は通常数日程度だが、パンの缶詰の賞味期限は最長3年間。いつ開封してもやわらかな食感のパンを食べることができるという画期的な商品だ。

この商品を開発したのは、栃木県の那須塩原市にある、パン・アキモト。地方にある一軒のパン店が、パンの缶詰を作るようになったのには理由がある。

1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災だ。早朝、マグニチュード7.3の地震が大都市を襲い、6000人以上の死者と4万人以上の負傷者を出した。

このニュースを知ったとき、現社長の秋元義彦さんと、先代社長である父の健二さんは、パン屋である自分たちにできることは、パンを被災者に届けることだと考えた。交通機関も道路もまだ復旧しない中、トラックで2千数百個のパンを1日半かけて被災地に運んだ。しかし、届けられたパンの一部は被災者にいきわたる前に消費期限が過ぎてしまい廃棄されてしまったという。義彦さんは、後になってその事実を教えてくれた知人から、「乾パンのように日持ちがする柔らかいパンは作れないか?」と尋ねられた。

「作れません」。それが義彦さんの最初の返事だった。

パンの柔らかさと保存性の高さは相反するもので、両立は不可能だった。

「乾パンと普通の柔らかなパンは、同じパンという名前でもまったくの別物。それでも、本業の合間をみては試作を続けました」

義彦さんは、大学の農学部の教授に相談しながら、パン生地自体の劣化つまりデンプンの劣化を減らすよう材料の配合に工夫をこらした。またパンを無菌状態にするため、缶ごとパンを焼く方法を考案した。さらに無菌室で脱酸素剤を入れて缶のフタを閉じることにより、酸化によるパンの劣化を防ぐことに成功した。さらに、おいしさを長時間保つ方法は、耐熱性の紙にくるんでパンを焼くことだ。この方法で、パンが乾いてパサパサしないように改善した。こうした試行錯誤の末、約一年をかけてパンの缶詰が完成した。

その後「パンの缶詰」は、2004年に起きた新潟県中越地震や、その翌年に発生したスマトラ沖地震で救援物資として活躍、評判を呼んだ。

国境を越えたパンの缶詰

「パンの缶詰」が多くの企業や自治体に非常食として広まってきた2007年、義彦さんはパンの缶詰のリユースを思いつく。賞味期限の一定期間前に至ったパンの缶詰の下取りを始めたのだ。全国の学校、企業、自治体などの購入者に案内を出し、再購入希望者にはパンの缶詰を送り、賞味期限残り一年の缶詰を回収する。回収された缶詰は、飢餓対策に取り組むNGOの手で食糧難の地域に支援物資として送られている。缶詰を下取りに出すことで購入者は定価より安く新しいパンの缶詰を購入できる上、国際貢献活動にも参加することになる。このプロジェクトは2009年から本格的に始動し、現在まで約2000を超える個人または団体がプロジェクトに参加した。このプロジェクトで3万缶以上が海外に送られた。

「パンの缶詰は災害などの非常時に食べるものですから、開けなくて済むのが良いのですけれど、やっぱり私はパン職人なので、廃棄されるよりもおいしく食べて欲しいという思いがあります。」

また、義彦さんの父、健二さんは、第二次世界大戦で軍用機のパイロットだったが、戦争に加担したことへの慚愧の念を持ち、世界平和に貢献したいという気持ちをもっていたという。父の思いを息子が果たしているのだ。

2009年、パンの缶詰は国境どころか地球という枠までも超えて宇宙へと飛び立った。「200%安全でなければならない」と言われているNASAの検査をクリア。日本人宇宙飛行士の若田光一さんが国際宇宙ステーションに長期滞在した際に、スペースシャトルのディスカバリー号に宇宙食として積み込まれた。

「前例がないことだから、チャレンジする意欲が湧くんです」

次々と新しいことに挑戦していく秋元さんの原動力は情熱だ。

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