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Highlighting JAPAN

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野口英世(仮訳)

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日本人はアフリカで、農業、教育、医療など様々な分野で長年、活動してきました。こうした日本人のパイオニアと言える人物が、細菌学者の野口英世博士(1876-1928)です。

福島県の貧しい農家に生まれた野口博士は、子どもの頃、ひどい火傷を負いましたが、左手の不自由を乗り越え、20歳の若さで医師免許を取得しました。その後、1900年にアメリカに渡り、ペンシルベニア大学、ロックフェラー医学研究所で研究者として働き、そこで行った伝染病の研究はノーベル賞の候補に3回もなるほど、評価を受けています。

野口博士が取り組んだ研究の一つが、当時、中南米やアフリカで猛威を振るっていた黄熱病の原因究明です。野口博士は、アフリカに派遣されていた同僚の研究員が黄熱病で殉職したことをきっかけに、周囲の反対を押し切って、1927年10月、アフリカの英領ゴールドコースト(現ガーナ)のアクラに渡ります。野口博士は、3ヶ月の予定を6ヶ月に延ばし研究を続け、予防法と治療法に目途をつけました。しかし、帰国しようとしていた間際に、自身も黄熱病に感染し、1928年5月に死去します。

1979年、博士の功績を称え、遺志を継ぐ研究所として、日本の支援で、ガーナ大学医学部付属野口記念医学研究所が設立されました。野口記念医学研究所は現在、アフリカを代表する感染症の研究所となっています。

2006年、日本政府は、アフリカでの感染症などの病気の対策のため、アフリカの医学研究や医療活動で顕著な功績を挙げた人物を顕彰する「野口英世アフリカ賞」を創設しました。2008年の1回目に続き、2回目となる「野口英世アフリカ賞」の授賞式は、今年6月に開催される第5回アフリカ開発会議(TICAD V)で開催されます。



問題1:野口博士の肖像は、現在、日本人が日常使う、あるもので見ることが出来ます。それは何でしょうか。

A. 切手

B. 紙幣

C. 貨幣




問題2:アメリカの研究所で野口博士が同僚から付けられたあだ名は何であったでしょうか。

A. 人間機関車

B. 人間印刷機

C. 人間発電機







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