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Highlighting JAPAN

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リーニングイン ーザ・パワー・オブ・ウィメノミクスー

ミタイ基金

一つの国を助ける一人の女性(仮訳) 



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パラグアイは世界有数の大豆や綿の産出国である一方で、農業に大きく依存した国であり、変わりやすい天候と世界の商品相場の影響をまともに受け、国家経済の発展も年ごとに先の読めない状況だ。

現在、横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院教授である藤掛洋子博士は、国際協力機構(JICA)のボランティアとして1993年にはじめてパラグアイを訪れた。社会的弱者として抑圧的な環境のなかで暮らす現地女性の窮状に触れ、1995年に任期が終ったあとも支援を継続することを決断した。

帰国と同時に藤掛氏はパラグアイの農村部の人たちを支援するためにミタイ基金を創設した。

パラグアイの先住民であるグアラニの人々の言語で「子供たち」を意味する言葉から名付けたミタイ基金は、今日まで新しい学校や保健センターを建設し、料理や栄養学を教えるクラスも設立するなど、地域全体のために活動している。

初期の授業では、藤掛氏は現地の女性に彼女たちが一度も経験したことのなかったケーキ作りを教えた。農村部では入手困難な生卵を使用せずに焼き上げる工夫をし、身近な材料や道具でやりくりした。このような経験をきっかけに、女性の状況の改善を促すためには単純に資金を割り当てるより、女性たちが自ら身の回りの状況を自力で変えられるという意識改革が必要であることに藤掛氏は気がついた。「小さい成功から自信がうまれます」と彼女は言う。

今では現地NGOの協力も得て、パラグアイの自治体から毎年何十通もの提案を郵便やメールで受けており、藤掛氏とミタイ基金のメンバーは休む間もない。基金は現在パラグアイのカアグアズ県にあるサントドミンゴ地区に5校目の学校の建設を検討中で、ミニ図書館も計画の中に入っている。

しかし、道のりは常に平坦ではなかった。幾度にわたる戦争と軍事独裁政権は南米中央部のこの国に大きな負の遺産を残し、一時期、パラグアイの人口比率は男性1人に対し、女性5人にまでなったと藤掛氏は述べる。この男女比の不平衡により、保守的で伝統を重んじるパラグアイの社会のなかではさらに男性が優先され、女性の地位が下がった。

藤掛氏の初期のプロジェクトに参加した多くの女性たちは地域の男性からの強固な反対に合い、時に暴力まで受けた。村から外に向かう赤土の道を女性が生活のために利用することなどかつてなかったため、藤掛氏の教育ワークショップに参加する女性たちは近隣の村に愛人を訪ねているのではないかと疑われたことさえある。

一貫して藤掛氏は、まとめ役や相談役に徹し、2004年頃までは自費でその活動を行っていた。次第に地域がこの新たな事業に慣れてくるにつれ、女性たちは編み物やジャム作りなどの技術を発展させ、自らの子供たちに衛生を保つ効果的な習慣などを教えることができるようになっていった。「こういった活動は日本の人から見ればごくシンプルで特に議論の対象にはならないように見えるかもしれません。ところが私が共に活動した女性たちの多くは、自分たちの生活を自ら形作れると想像もしたことがありませんでした」と藤掛氏は話す。

藤掛氏と共に活動した女性のなかには、やがて自ら栽培した野菜や手作りの加工食品を青空市場で売ることができるようになり、新たな自給自足の方法によって自信と自立を得ることができるようになった。

2004年までは、彼女は言葉通り小規模な支援を行っており、国際協力専門家として、また同時に自費で旅をしながら毎年の訪問の際に個人または少人数市民グループの援助をしていた。次の年に援助をすることにしていた子供が、彼女の再訪前に亡くなった時、農村地域を支援する目標は彼女ひとりではあまりに大きすぎることを痛感した。そこで彼女はパラグアイのNGOやパラグアイ駐在のJICAのボランティア、地域の農業指導者たちに協力を依頼し、今日のミタイ基金の骨格を成す共同ネットワークを築いて行った。

藤掛氏は古くからの農村地域の男性たちの中に芽生えつつある変化を驚いている。「数人の夫たちや息子たちが朝食の支度やアイロンがけのような仕事をするようになった」と彼女は言う。そのうち男性たちが率先してこれまでとは異なる役割に挑戦する日はそう遠くないと感じている。



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