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Highlighting JAPAN

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国際協力60周年

ジョモ・ケニヤッタ農工大学から
見えてくる日本のODA(仮訳)



東アフリカのケニアで、多くの優秀な人材を輩出しているジョモ・ケニヤッタ農工大学(JKUAT)は、日本のODAにおける人材育成支援の一つの代表的な成果である。ケニア政府からの要請を受け、日本政府は、JICAを通じ、1977年に大学設立のためのプロジェクトを開始してから20年以上にわたってこの活動を支援してきた。JKUATの過去・現在・未来から我が国のODA支援の姿が見えてくる。

1963年のイギリスからのケニア独立運動を指揮し、ケニアの初代大統領となったジョモ・ケニヤッタ氏は、特に農業と工業を支える技術者の育成が国づくりに欠かせないと考えていた。その指導、協力を要請されたのが日本であった。何もない広大な野原に校舎を建設するところから始め、工学部は京都大学、農学部は岡山大学が中心となり、のべ50を超える日本の大学が支援してきた。1981年に中堅カレッジとして開講して以降、日本の支援により着実に成長し、1988年には、ケニアで5番目となる国立大学に昇格した。

プロジェクトの日本側の代表者である京都大学の中川博次名誉教授と岡山大学の岩佐順吉名誉教授は次のように振り返っている(『アフリカに大学をつくったサムライたち』2013年)。「ケニアでは職種ごとに国家資格を取らなければ就職が難しく、既存の大学のカリキュラムも生徒たちのメンタリティも、国家試験合格のための暗記中心の内容に偏っていました。しかし、基礎科目をしっかりと理解した上で実習に注力するという日本の大学の教育方針を貫いた結果、数年後には学生たちの国家試験合格率が飛躍的に伸びたのです」。

JKUATは、独力で大学運営が可能になったと判断し、2000年にODAとしてのつながりにはひと区切りつくが、その後もJKUATに関与した日本人202名によって「ババロア奨学金」が設立され、毎年成績優秀者に奨学金を贈与し、15年間で583名もの学生を支えた。2001年には717人だった生徒も2012年には30,788人にまで増え、卒業生はIT業界、建築、園芸、食品、慈善事業支援など様々な分野で活躍している。またJKUATとその系列大学にあたる4つの国立大学で教鞭をとる卒業生も多い。

ケニアと周辺地域に進出しようとする日本企業にとっても、JKUATは貴重な存在となっている。たとえば日清食品(日本の食品加工メーカー)は同大学との合弁事業を立ち上げ、学生をはじめとする現地の人々の意見を取り入れたインスタントヌードルの開発を行っている。産業と大学が結びつくことで実践的な研究が可能となり、設立からずっと日本が携わってきた大学と一緒に事業を始める方が、日本の企業にとっても投資のリスクが少ない。そんなwin-winの環境が生み出せるのも、日本が支援しているJKUATならではである。
そしてJKUATは、アフリカ連合が掲げる汎アフリカ大学構想(PAU: Pan African University)のもと、アフリカ全土に貢献する大学となるための次の段階を歩み始めた。これに対し、日本政府は、2013年6月のアフリカ開発会議において、再びODAによる協力を開始した。PAUは、アフリカにおいて優秀な人材の海外流出などが問題となっている中、アフリカの経済や社会開発を担う人材を養成、確保するという構想のもと始まった。これはアフリカ大陸を5つの地域に分け、それぞれの地域で主導的役割を果たす国と大学、それを支援する海外の援助国を決め、特定の分野の研究と発展に力を注ぐプロジェクトである。東アフリカ地域ではケニアのJKUATが日本の支援を受けて基礎科学、テクノロジー&イノベーションの分野のホスト大学となり、日本がその看板となるアフリカ型イノベーションに力点を置いた支援をすることになった。

日本のODAによって生まれたケニアと日本の絆の象徴ともいえるJKUATが、力強くさらに発展することにより、同大学が革新的かつ創造的な人材を輩出し、子大学や関連企業などにもそのインパクトが波及することが期待されている。

 

 



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