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Highlighting JAPAN

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日本の秋

神々のための舞(仮訳)

古くから伝わる神々への呼びかけには多くの形式がある。そのなかでも日本でもっとも古く、そしてもっともダイナミックなものが神楽である。秋との結びつきが深いこの儀式的な舞は、伝説によると太陽神が籠った洞窟から隠れていたことも忘れて出てくるほど魅力的なものだったという。


金や銀の刺繍が施された衣装に身を包んだ踊り手が、ぼんやりとした色彩のなか、ぐるぐると回る。突如蒸気の雲が押し寄せてきて、角や牙を持った恐ろしい鬼が現れる。英雄が剣を振るい、口を大きく開けた大蛇と激しい戦いを繰り広げる。

これらは、日本最古の伝統芸能のひとつである神楽のワンシーンで、この舞は能などの古くから伝わる日本の他の芸能よりも長い歴史を持っている。

「神楽」という言葉は、「神」と「楽」という二つの漢字からなり、この名称がその由来を暗示している。神楽が最初に描かれたのは、日本の神話をまとめた8世紀の歴史的文献である古事記と日本書紀だ。

これらの文献では、太陽の女神とされる天照大神が洞窟に隠れ、世界を暗闇にしたときのことが描かれている。他の神々は、この洞窟の外で楽しい舞を踊って女神を誘い出そうとし、その作戦は成功した。彼らの舞がとても魅力的だったため、天照大神は逃げ込んだ場所から出てきて、世界に光が戻ったのだ。この神話が、神楽の着想源となっている。

神楽の原型は、かつて日本の文化と産業の中心地であった島根県の出雲地方にその起源をさかのぼる。NPO広島神楽芸術研究所で理事を務めている石井誠治氏は、神道に根ざした農業のための儀式が、この舞に影響を与えたと説明する。これらの儀式では、春の植えつけの時期に自然の神々に対して米の豊作を願い、秋に豊作を迎えた後には感謝の意を示した。

「日本人は、目を向けたあらゆる場所に神々の姿を見ました」と石井氏は話す。「大きな石や大きな木など、すべてが神でした。そして、これらの神々は食料が自然に実るうえで影響を与えていると考えられていました」。出雲地方では、神主が神々に捧げる余興として、神楽は特に秋の祭礼と結びつけられるようになった。

近隣の石見地方の人々は、その後神楽を物語の手段として用い、大衆芸能へと変化させた。石見神楽として知られるこの舞台芸術は、日本神話の神々や伝説を劇的に描くことで隆盛を極めた。石見神楽は、江戸時代(1603~1868年) 後期に現代の広島県北部へと伝播した。

今日、広島県北部には150を超える神楽団が存在している。東山神楽団で団長を務める宮上宜則氏 (他の2つの神楽関係の協会も率いている) は、各団が上演する物語は大半の部分が共通しているものの、どの団も独自の解釈を持っていると指摘する。ある団は伝統的な舞 (旧舞) を主に上演し、他のグループは現代的な舞 (新舞) をより多く上演する。なかには「スーパー神楽」と呼ばれる創作性が高いスタイルで上演する団もある。宮上氏は、このような多様な解釈が存在しているのは良いことだと考えている。「すべての団が同じだったら、面白くないでしょうね」と彼は話す。

神楽が神道の祭礼と伝統的に結びついているということは、昔から男性が主要な演者だったということを意味する。しかし、女性の参加者は増えてきており、その多くが舞台のための音楽を演奏している。その一方、男性演者の数はいまだに女性演者の数を上回っており、歌舞伎と同様、女性の役でも男性が演じている。石井氏は、この男女比の原因の大部分が、その過酷な身体的要件にあると話す。手作業で作られている衣装の重さは、20キロ近くに達することもあるという。

秋の真っ只中になると、日本の中国地方における祭典や神社では数多くの神楽が上演される。また、広島県民文化センターのような施設では、年間を通して神楽が上演されている。宮上氏は生で神楽を見るよう人々に勧める。「神楽はメディアを通して見るようなものではありません」と彼は語る。「その良さを知るためには、自分の目で直接見る必要があるのです」。

 

 

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