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Highlighting JAPAN

人生を変えた空手

リチャード・ウィリアム・ヘセルトン氏は20年以上にわたって日本で空手修行を続けている。

リチャード・ウィリアム・ヘセルトン氏は、1995年、高校を卒業したばかりの18歳の時、空手修行を続けるためにイギリスから単身来日した。彼は8歳から柔道、ボクシング、キックボクシングを始めていたが、初めて空手に出会った12歳の時、トップ選手の空手の早さや技術を見て衝撃を受け、空手にのめり込むようになった。

来日のきっかけは、旅への情熱と、高校生の時、イギリスで開催された空手の世界大会を見たことであった。当時、空手の腕前はジュニアのナショナルチームに入るほどであったヘセルトン氏にとっても、日本人空手家の動きは今まで見たことがないほどのレベルであった。日本の空手のスタイルは、スピードや力だけではなく、技術的な正確さも大きく違っていた。日本のトップレベルの先生に学びたいという思いから、ヘセルトン氏は大学に入る前に日本に行こうと決意した。当初は3ヵ月の予定だったが、空手の奥深さに魅せられ、22年が経ち、40歳を迎えた今でも日本で、空手の最も高いレベルを追い求め続けている。

「日本に来て最初に強く感じたのは、空手を学ぶのは道場だけではないということです。それは日本の社会と文化的に密接に関係しています。特に、先生、先輩、後輩とどのように関わるかということです」とヘセルトン氏は言う。「もちろん戸惑いもありましたが、上下関係を重んじるのは、互いに相手を尊重し合っているからこそできることだと思いました。それに馴染むのは簡単でした。私を導き、高めてくれる非常に素晴らしい先生、先輩、後輩に出会うことができて、非常に幸運でした」

ヘセルトン氏は、東京の外国語学校で英語を教えながら日本空手協会の大志塾の中達也先生と大隈広一郎先生の指導のもとで修行を重ねた。そして2000年に拓殖大学国際学部に入学した。拓殖大学には、世界で最も優れた空手家を100年以上にわたって生み出してきた歴史を持つ空手部がある。3年生の時、彼は拓殖大学において最初の外国人の主将となっただけではなく、日本の大学のトップレベルの空手部で、最初の西洋人の主将となった。ヘセルトン氏は2年間、主将を務めた。

「当時は大学に通いながら、空手の稽古に精一杯取り組みました」とヘセルトン氏は言う。「体力的にも精神的にも非常に厳しく、チャレンジングでした。もちろん、調子の良いときも悪いときもありました。また、空手を深く掘り下げるときでもありました。振り返ってみると、このときのかけがけのない経験なしに、今の自分はありません。大学を卒業したとき、空手から離れたい気持になりました。しかし、歯磨きやシャワーと同じように、空手はもはや生活の一部になっていました。稽古の集中度やスタイルは変わりましたが、稽古を続けました」

ヘセルトン氏は学生の時に、全日本選手権で団体戦優勝、個人では3位に入賞するなど輝かしい結果を残している。同時に、イギリスの大学で英語教授法(TESOL)の修士を取得した。

ヘセルトン氏は4年前から拓殖大学の国際学部の英語教師を務めている。以降、大学で英語を教えながら津山克典師範、谷山卓也監督のもと、空手道部のコーチとして指導に当たる日々が続いている。

空手は、2020年の東京オリンピックで正式種目となる。

「オリンピックはスポーツの世界の頂点なので、私はもちろん、拓殖大学の空手部員がそうした素晴らしいイベントに出場できる機会があることを望んでいます。世界で1億人と言われる空手人口の中で、いわゆる競技空手をやっている人はわずか10%に過ぎません。それらの人々にとって、これは大きなステップです」とヘセルトン氏は言う。「しかし、残りの90%の空手家にとって空手は、試合で良い成績を残すだけのものではなく、武道であり、人生の旅でもあります。東京でのオリンピックをきっかけに、スポーツとしての空手、武道としての空手、いずれでも始める人がもっと増えて欲しいです」