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Highlighting JAPAN

江戸時代の食事を蘇らせる

島根県の手錢記念館は、江戸時代の料理の再現を行っている。

日本の伝統的な料理の一つ「本膳料理」は、貴族文化が花開いた平安時代(1185-1192)の儀礼的な宴会様式に端を発し、その後、室町時代(1336-1573)に武士の宴会様式として確立された料理である。江戸時代(1603-1867)には町民や農民の間でも婚礼などの祝いの席で広がった。

本膳料理は、式三献から始まり、雑煮、一の膳(本膳)、二の膳、三の膳、硯蓋などおおよそ6種類の順で供される。江戸後期になると、料理の種類や数など簡略化されたものが、一般庶民でも供されたと考えられている。

本膳料理の食材は、野菜、魚、貝、豆腐、キノコ類、海藻類など様々である。江戸時代まで日本では、現代とは異なり、牛や豚などの動物の肉を食べることは宗教上(仏教)の理由から忌避されてきたが、鶏、鴨、ウズラなどの鳥は料理に使われていた。現代において、結婚式で行われる三三九度、正月に食べる雑煮などが本膳料理の名残であるが、江戸時代に行われた本膳料理の形式を踏まえて、祝いの席が設けられることは、今の日本ではほとんどなくなっている。

島根県出雲市大社町の手錢記念館は、同記念館が保存する江戸時代の献立をもとに、江戸時代の食事を再現している。手錢記念館が10月17日に出雲市の島根県立古代出雲歴史博物館で開催したワークショップでは、1857年に手銭家の婚礼で供された本膳料理の献立の一部が再現された。

当時、数日間にわたって行なわれた婚礼では100品以上の料理が出された。出雲は海にも山にも近い土地柄のため、料理には、祝い肴として今でも食される鯛をはじめとする魚介類や、現在も高級品として重宝されている出雲名産の海苔などの海産物、川魚、山菜、きのこ類など、地元で採れる多彩な食材が用いられていた。また、江戸時代には高級品だった砂糖を大量に使う料理も供されていた。

今回のワークショップでは、出雲市で和食店を営む安藤登氏の指導のもと、「海苔巻寿司」や「焼き鯛」など11品が10名の参加者によって再現された。文献の献立には調理法までは記載されていないため、料理の再現には想像に頼る点もあるが、醤油、塩、砂糖、酢といった調味料は江戸時代にはすでに現在とほぼ同じものが出来上がっており、味が大きく異なることはないと思われる。

約2時間で料理が完成すると、それぞれの料理は手銭家に伝わる和食器に盛りつけられた。現在では希少な食材となっている香茸を使った「香茸白和え」、「ほうれん草おひたし」などの4品は、正月など、祝いの日の料理を入れる器である重箱に詰められた。今回使われた2種類の重箱はいずれも江戸時代後期のもので、一つは長寿や繁栄のシンボルとされた鶴と、流水の蒔絵がほどこされたもので、もう一つは、手錢家の家紋がほどこされた漆塗りのものである。

また、梅の花びらが5枚描かれていることにちなんで5品の料理を盛りつける「梅椀」と呼ばれる漆器の器には、「焼き鯛」など5品の料理が盛られた。さらに、海苔巻寿司をのせた大皿は、色も鮮やかな江戸時代後期の伊万里焼きが用いられた。

「最近は日常の食事で伝統的な和食器を使うことが少なくなりましたが、漆器にはプラスチッックの食器にはない、口当たりの良さと温もりがあります。また、伊万里焼きの大皿には料理を盛ってはじめてわかる美しさがあります」と手錢記念館の佐々木杏里学芸員は言う。「ワークショップを通じて、江戸時代の食の豊かさとともに、本物の和食器を使う楽しさ、良さも多くの人に知っていただきたいと思っています」

ワークショップの参加者からも「漆器は熱いものを盛っても、手に熱くないのが素晴らしい」、「料理や器から、手銭家のおもてなしの心を感じました」といった声が挙がった。

手錢記念館は今後も、ワークショップや記念館での展示を通じて、江戸時代の出雲の文化を発信していく予定である。