Home > Highlighting JAPAN > Highlighting Japan December 2016 > 伝統工芸

Highlighting JAPAN

本物の和紙

和紙づくりにおいて、本美濃紙の職人である澤村正さんは、まさしく「名工」である。

編み枝と漆喰でできた工房には、澤村さんが手に持った木枠を、粘性のある濁色の原料液が入った水槽の中で機械のように精密に前後に揺り動かすたびに、カタカタ、ヒュッヒュッといった音がリズミカルに響く。

そうした作業を数分も続けていると、桁に竹簀をはさんだ簀桁(すけた)と呼ばれる竹製のふるいのような用具の表面に、半透明の薄い膜が形成される。澤村さんは、それを簀桁から手際よく取り外す。剥ぎ取ったばかりのその膜は白く輝き、非常に薄くスライスした豆腐に似ている。

しかし、ひとたび圧搾され天日で乾燥された後の和紙は、生き生きとした艶や色合いに満ちている。それは、職人が惜しみなく注ぎ込んだ情熱の賜物である。同じ和紙といえども、単純なものではなく、そこには職人の技能が現れるのだ。

本美濃紙は、丹念に完全手作業で作り上げられる手漉き和紙の一種である。その生産においては、岐阜県美濃市およびその周辺で1,000年以上にわたり実践されてきた手法と原料が使われている。

実際、現存する文書史料によると、美濃の国として知られた現在の岐阜県美濃地方における和紙作りの始まりは、1,300年以上前に遡ると言う。

「非常に長い歴史ある工芸であるため、当然のことながら、時代の流れとともに生産過程の一部には修正・改良が加えられてきました。しかし、本質的な点は、今も昔と全く変わりません」。澤村さん(87歳)は、漉き槽(すきぶね)と呼ばれる大きな水槽の中に、新たに粘着性のある混合原料繊維を追加しながら、次のように言葉を繋ぐ。「優れた本美濃紙を作る上では今も、純水、新鮮な空気そして清い心が重要です」

そして、もうひとつ欠かせないのが、那須楮(なすこうぞ)として知られる原料となるパルプである。楮とはクワ科の落葉低木で、落葉後に収穫し、黒皮を取り除いて美しい白皮だけを使用する。その白皮を、まず水に浸けて柔らかくし、繊維をほぐすために大きな鉄釜に入れて煮て、灰汁を抜く。煮熟してしんなりした楮は、流水できれいに洗った後、石盤の上に乗せて、繊維を離解するために木槌で叩く。叩解した楮は、後に続く手漉き作業のために、ねべしと一緒に漉き舟に入れてしっかり撹拌する。ねべしは、トロロアオイの根をすり潰して水を加えて抽出した粘液で、繊維同士を強く繋げるためのいわば天然の糊の役目を果たすのである。

楮の長くて細い繊維が醸し出す独特な光沢のある色合いと質感。それが、本美濃紙の特徴だ。本美濃紙は主に、襖の障子紙や文化財保存修理用紙に使われている。京都迎賓館の障子紙は、全て澤村さんが漉いた本美濃紙である。

本美濃紙はたぐいまれな和紙であり、手漉き技術そのものが非常に重要な文化的資産になっている。事実、本美濃紙は、日本政府により1969年に重要無形文化財に指定されており、2014年には国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産にも登録されている。

澤村家は、手漉き和紙職人の家系で、澤村さんが和紙作りに取り組むようになったのは15歳の時からだ。以後、4代目として72年間、和紙作りに取り組んできた。

その間、和紙作りを取り巻く環境は大きく様変わりした。大量生産紙に押され、手漉き紙の市場シェアはかつてと比べて見る影もないほど低下した。澤村さんが10代の頃は一家で1日当たり200〜300枚の和紙を生産していたが、現在の生産量は当時の10分の1にとどまる。

美濃和紙の里会館の館長を務める清山健さんによれば、100年前、今日の美濃市を中心とした武儀地区には、三椏(ミツマタ)や雁皮(ガンピ)という落葉低木の皮の繊維を原料に使用した和紙─単に「美濃紙」として知られている和紙で、今ではその殆どが機械漉き─の生産にあたっていた職人も含めると3,773人の和紙職人が活動していた。

清山さんいわく、今日も活動している和紙工房は18軒で、このうち本美濃紙作りに従事している手漉き工房は5軒だという。本美濃紙は「本物の美濃紙」とも言われるが、それは古くから伝わる手法や原料だけを使って忠実に生産されている点にある。

「現在、職人の下に10人の研修生がいます。研修生の受け入れは、数年前に本美濃紙保存会がスタートさせた人材育成、伝統文化保存のプロジェクトの一貫です」と清山さんは語る。「その目的は、本美濃紙の技術を次の世代へと伝えていくことです。ユネスコ無形文化遺産への登録は私たちのその決意をさらに強固なものにしました」

澤村さんは、神奈川県横浜市から岐阜県美濃市へ移住した研修生の一人である寺田幸代さんを内弟子に迎え入れて技術指導を行っている。澤村さんは、和紙作りにおいて恐らく最も重要な技といえる、定規や秤がなくても常に同じ寸法、同じ重さの和紙を製造する技能を含めて、必要な技術を習得できるようになるまでには通常10年の歳月が必要と述べる。

寺田さんが、澤村さんの指導を仰ぐようになってからまだ4年に過ぎないが、必要な技術の取得は近いという。

しかし、澤村さんは現在、若い内弟子に和紙職人にとって技術以上に重要なことを教え込もうと努めている。それは、職人としての本当の古き良き気概である。

「和紙職人として生きていくには不屈の精神が必要です。若い時分に知りましたが、それは簡単なことではありません」今は中庭の踏み石やランタンスタンドに使われている、澤村家で何十年にもわたって使用されてきた紙打ち石の一部を見せながら、澤村さんはさらに言葉をつなぐ。

「手漉き和紙を作るなら、日本で最高の手漉き和紙を作るべし、というのが私たちの信条です。こうした思いは今も変わりません。原料や天候などの条件、そして作り手自身のコンディションなど、環境は日々変化しても、それは不変です。私は今なお、今日は昨日よりも優れた和紙を作ってみせるという決意で和紙作りに臨んでいます」