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Highlighting JAPAN

人形の権威

さいたま市岩槻区で作られている人形は、日本全国で最も洗練されたものだとされている。

左手を白いフェルト地の手袋で覆い、右手の薬指にフェルト製の指サックをはめた大豆生田博さん(50歳)は、親指と人差し指の間で頭を優しく摘んで、抑制された流麗な筆遣いで「お雛様」の髪を描き出していく。

彼が作業を続ける中で、その顔立ちはまるで生きているかのように見えてくる。これは、日本語の漢字である「人形」が文字通り「人の形」を意味することを考えればもっともなことだ。

「一番難しいのは眉です」と、大豆生田さんは言う。彼は、過去30年の大半を岩槻人形の製作に捧げてきた。「少しでもやり損ねると、どことなく間の抜けた表情のものになってしまいます」

そのような顔つきは、江戸時代(1603-1867年)に初めて誕生し、日本で人形の権威だとみなされている岩槻人形にはふさわしくないだろう。

この点は3月3日のひな祭り(桃の節句ともいう)といった祝事では特に明白となる。何段もの飾り棚に数多くの人形が飾られ、内裏雛(お内裏様とお雛様)が上段に鎮座し官女、楽人、衛士などがその下段に並ぶ。

それらの比類なき品質は、大豆生田さんの父が70年前に埼玉の岩槻地区で創業した彼の工房「大生人形」を訪れるとはっきりする。

この工房の職人たちの細部へのこだわりは驚くばかりである。各々の職人は人形で最も重要とされる部位の製作工程の様々な作業を担当している。

工房の中には、製作する職人の技巧のほどが最もよく現れると言われる伝統人形の頭の部位が入った編み籠が積み重ねられている。

華麗な着物から多種多様な付属品など人形の他の部位は別の専門職人が手がけたものだが、大豆生田さんが担当する頭の部分の作業は、骨の折れる、重要な工程である。

伝統的に、人形の頭は小麦でん粉の糊と混ぜ合わせた桐粉で作られた石膏のような練地から型取りされていたが、大豆生田さんの時代になってからはほとんどが(漆喰のような)石膏が充填されたシリコン型で作られている。

この部分は職人の腕の見せ所で、通常粉砕した貝や牡蠣の殻から作られる胡粉に膠糊を混ぜた透明な白い顔料を何層も重ねていく。

大豆生田さんによると、真珠のような光沢があるより繊細な顔料を塗布する前に、比較的粗い胡粉が六層ほど塗られる。「これは女性のファンデーションを塗るようなものです」と彼は言う。「顔料を何層も塗り重ねることで、鼻と口を形作る盛り上げを施すことができます。仕上げは、眉や唇を描き、頬に紅をさしたりします。まさに、女性が化粧をするようなものです」

他にも大生人形で働く職人は、超精細な絹糸から作られた髪の植毛とティアラのような髪飾りの飾り付けを担当している。

彼の工房では全体で十人の職人が作業にあたっているが、これは岩槻で人形製作に関わっている人数の一握りでしかない。

大豆生田さんによると、「岩槻には500人ほどの職人がおり、この業界に関わっている従業員は3,000人を超える」という。

彼の父親が1950年代に創業した当時、人形業界で働いていた人数はもっと多かった。「人形の頭作りをするところが300社、岩槻人形組合に加盟していたと言われています」

大豆生田さんの人形職人になりたいという思いは、商品にならない人形の顔にふざけて色付けをしていた幼い頃に端を発している。大豆生田さんは中学生の頃に父親の跡を継ぐ決心をした。まだ17歳の時に父親の突然の他界を受けて、他の岩槻職人から昼間に仕事を学び、夜帰宅してから技巧に磨きをかけた。

今でさえ、彼は職人として一人前になったとは感じていない。「必要な部材をすべて作り上げ、それらを求められる技能で最高級の人形に仕立てられるようになるには何十年もかかります」と彼は言う。「その域に達しているとはまだ思えません」