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Highlighting JAPAN

  • 日本の伝統笑劇「狂言」を引き継ぐ

    野村万蔵が日本の伝統笑劇である「狂言」の機微を説明する。

    狂言は庶民の日常や説話を題材に、人間の姿を滑稽に描く喜劇である。原型は平安時代(8~12世紀)に能とともに生まれており、中世の室町時代(14~16世紀)になってその様式が確立した。

    能は狂言とルーツを同じくする表裏一体の芸能であり、基本的には一緒に上演されることが多い。両者はいわば「陰陽」の関係にあり、幽玄を表す能が月であるならば、狂言は太陽のような役割を果たしながら、ともに「神事」として発展してきた。能と狂言はまずは神様に楽しんでもらう神聖な芸能である。これが能と狂言からなる「能楽」の大きな特徴である。一方、それ以降に生まれた芸能は、歌舞伎に代表されるように、神域とは離れ、純粋なパフォーマンスとして発展してきた。

    「狂言の笑いとは“和楽”の世界、つまり和み楽しむことなのです」。和泉流狂言師である野村万蔵氏は、狂言ならではの笑いについてこのように語る。「人生には表もあれば裏もある。様々なことに悩みながらも、前向きに力強く生きていこうと、そういう気持ちにさせるのが狂言の笑いです。ただゲラゲラ笑って終わりではなく、人生の機微に通じる含蓄のある笑い。この笑いには普遍性があります。だからこそ、時代を経ても、また日本に限らず世界各国でも笑ってもらえるのです」

    能が厳かな音楽劇であり、登場人物も能面を付けた身分の高い人や神様であるのに対し、狂言は楽観的な話であり、登場するのは様々な職業の庶民や動物や精霊、人間臭い神様や鬼など幅広い。狂言は、基本的に音楽はほとんど使わず、素顔で演じる台詞劇である。狂言の演目は新作も含めると400曲ほどもあるが、その表現には600年の歴史を経て積み重ねられてきたエネルギーが凝縮されている。

    「狂言では、セリフにしても動きにしても、弓に例えるなら“引く力”をとても大切にします」と野村万蔵氏は言う。「緊張の糸をピンと張って集中したうえで、一気に解放させて表現しています。この集中と解放が狂言の基本的な動作であり、また少ない動きでも何をしているか想像してもらえるように誇張した動作になります」

    野村万蔵氏は狂言の海外公演もヨーロッパを中心に積極的に行い、高い評価を得ている。今年も5月12・13日にフランスにあるパリ日本文化会館において、人間国宝である父の野村萬氏とともに公演し、絶賛を博した。演じた演目は「三番叟」(さんばそう)、「金岡 大納言」(かなおか だいなごん)、「二人袴」(ふたりばかま)の3つ。

    「三番叟」は神様を呼び込んで五穀豊穣を祈る純然たる神事であり、狂言としては例外的にストーリーのない謡(うたい)と舞(まい)からなる儀式芸能である。「金岡 大納言」は宮廷に使える一流絵師をめぐる恋物語のハプニング、「二人袴」は聟(むこ)入りの儀式をテーマにした父子のドタバタ劇で、象徴的な演目から始まり、次第によりコミカルでわかりやすい演目へと進む構成となっている。フランス公演では字幕スーパーも導入された。

    「この3つの演目を選んだのは、狂言の幅の広さを感じてもらいたかったからです。100%の神事から始まって、宮中から庶民へと話はだんだん下りていきます。演目が進むにつれて、“和み楽しむ”という狂言の笑いを満喫してもらえたのではないかと思います」

    「狂言師は祭事を司る神職であり、同時にダンサー、シンガー、アクター、コント師であって、カメレオンみたいなものです」と野村万蔵氏は語る。彼は、国内外で公演活動を展開する傍ら、日本で暮らす外国人のための狂言会「Yokoso Kyogen」を立ち上げたり、狂言とコントを融合させた「現代狂言」にもお笑い芸人と一緒に取り組んだりと幅広い活動を続けている。この夏には歴史学者とのコラボレーションによる新作「信長占い」を発表する。

    狂言もまた進歩を続ける伝統芸能である。