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Highlighting JAPAN

記録に残る最古の笑い話

日本最古のパフォーマンスアートである神楽は、今もなお、人を笑わせる力を持つ。

ある日のこと、商売繁盛の神でいつも大きな魚を抱えた像の姿で知られる恵比須はツキに見放されていた。大きな魚を釣り上げることを願いつつ釣り糸を垂れるのだが、全くアタリはない。

「やれやれ」と言いながら恵比須が籠に手を伸ばしてさらに餌を取り出すと、観衆には興奮の渦が広がる。何が起こるのか分かっている子供たちはなおさらのことだ。

島根県浜田市にある450年の歴史がある神社で石見神楽が上演される夕べのこの滑稽劇では、40人の観衆が実際には恵比須に釣られる魚となり、餌はゴカイや小魚ではなくキャンディーに代わり、恵比須がそれを鷲づかみにして観衆に投げつけると拍手喝采と甲高い笑い声が響き渡る。

「楽しかったけど、ちょっと怖かった」と、舞台に登壇して恵比須が張り子の鯛を釣り上げる手助けをした4歳の女の子は言う。

彼女の相反する反応は、日本最古の舞踏芸術である神楽ではもっともなことである。

神楽のはっきりとした起源は不明だが、その最古の形態は、太陽の女神である天照大神の伝説と、岩陰に身を隠してしまった女神を再び世を照らすよう説得するため踊りを披露して女神を楽しませた、天鈿女命の方法に由来する儀式だと考えられている。

時が経つにつれ、神楽は数多くの種類が発展して神道に取り入れられ、それほど強くはないが仏教の要素も受け入れられた。その中には、天鈿女命の子孫だと言われる女性で神社に仕える巫女が宮廷のために披露した巫女神楽といった高度に儀式的なものもあるが、他のものは演劇性が高くほとんど歌舞伎風の趣となっている。

後者の様式は、里神楽という総称で知られているが、明治時代(1868-1912年)には公に奨励された。明治時代になると、通称「神職神楽」という儀式化された呪術劇があり、かつて唯一の存在として宮司や従者が演じていた役割を地元住民が担うようになった。

その後、里神楽は発展を遂げて、今では様々な踊りと音楽が日本全国の多くの地方の祭りやその他の一般イベントで演じられている。そうしたイベントは一時間足らずのものもあれば、収穫祭の一環として秋に夜通しで行われるものもある。

現在は、伊勢流神楽や出雲流神楽を含め、 様々な種類の踊りを演じる神楽一座が日本中に数多く存在している。

石見神楽だけでも、石見とかつて呼ばれた島根県西部でおよそ150の一座が演じている。

石見神楽には踊りの形態がおよそ100種類あり、横笛、鼓、唄が必ず伴う。浜田市・三宮神社の上演で恵比須役を演じた下野貴志によると、その起源は室町時代(1336-1573年)まで遡るという。

「元々は宮司が行い神々に捧げられる儀式でしたが、信者たちに受け継がれて一種のショーになりました」と彼は言う。「現在、この演劇は歌舞伎に近い様式となり、観衆を楽しませるために上演されています」

石見神楽を際立って特徴付けるものは、八調子と呼ばれる速いテンポ、30キロを超える重さの手の込んだ衣装、和紙で作られた印象的な面である。

「他にも石見神楽の特徴としては、見た目にインパクトがあり、言葉が分からなくても理解しやすいといった点があります」。地元公務員や漁業従事者、地元の自動車部品メーカー従業員などの会員を擁する美川西神楽保存会の幣頭・浅浦賢二は語る。

そうした点は、とりわけ滑稽劇に当てはまる。恵比須が見せるお粗末な魚釣りやトボトボとした歩きは、ほとんど軽喜劇俳優が踊る動きそのもので、丸い顔で目が少し垂れ常にニヤッと笑っているその面がさらにユーモラスさを醸し出している。

「その顔を見ているだけで笑いたくなる」と、三宮神社に来ていた別の観客は言う。「神楽はすべてがコメディではありませんが、どれもみなこの上なく楽しいです」

観る者の心を捉える神楽の古来のパワーはその輝きを失うことがない。