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Highlighting JAPAN

庭園を行く

村雨辰剛として知られる、庭師のセバスティアン・ビヨークは日本の奥深い庭園文化の保存に取組んでいる。

かつて著名な文人たちに愛された古い日本の面影の残る関東のある街で、骨董品に囲まれ、三毛の日本猫と暮らす、スウェーデン出身のヤコブ・セバスティアン・ビヨークさん。今は日本国籍を取得し、日本名「村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)」と名乗る。

「村雨という苗字は親方がつけてくれました。名前は僕の生まれ年の辰年の辰と親方の名前の一文字をもらって辰剛です」と村雨さん。

村雨さんが「親方」と呼ぶのは、彼が5年間修業を積んだ中部のある造園会社の社長のこと。村雨さんはその道7年になる、日本庭園の庭師である。「西洋式の庭園はラインをそろえシンメトリーに造られていて見た目に美しさがわかりやすいのですが、仏教哲学が根底にある日本庭園は規格通りにならない自然を取り入れます。そして年月を経ることで『味』がでる。知れば知るほど日本庭園の美は奥が深いです」と村雨さんは語る。

スウェーデン最南端の小さな田舎町で育った村雨さんは、幼いころから異文化にあこがれ世界の国々の歴史や文化を調べることに夢中になった。中でも最も興味をひかれたのが、島国で長い歴史をかけて育まれた独特の文化を持つ日本だった。高校生のとき、インターネット上で交流のあった日本人に招かれ横浜で3か月間のホームステイを経験すると、日本に住んでみたいという思いが固まり、いったん帰国して高校を卒業して、ついに来日、念願がかなった。はじめは生計を立てるために、英語やスウェーデン語の講師、通訳、翻訳など、得意の語学力を活かした仕事をしながら、休日になると、大好きな戦国時代のイメージを遺す城などを巡った。そしてあるとき訪れた島根県の足立美術館の壮大な日本庭園に大きな感銘を受けた。日本文化はスウェーデンから遠く離れたものと思っていたが、日本庭園のなかにある自然を特別なものととらえる感性は、スウェーデンの自然観に通じるものがあると感じた。ちょうどそのころ、求人雑誌で造園業の仕事を見つけた村雨さんは、迷わず応募して職人の世界に弟子入りをした。

初めの頃、村雨さんは毎日、掃除などの下働きだけだったが、親方や兄弟子の仕事を熱心に見て学んだ。その熱意を認めた親方は、道具の使い方、樹木の性質など、多くのことを村雨さんに教えるようになった。いつしか村雨さんは、「その木を仕立てることができれば一人前」と言われる松の剪定を任されるまでに腕を上げていた。

村雨さんは一通り勉強を終え、今は新しい会社に移り、顧客の依頼を受けて庭の設計、施工を手掛けている。夢は、自分の手で新規に日本庭園を造り上げることである。しかし、日本式の庭を造る注文は多くない。さらに村雨さんを悲しませるのは、古い日本庭園を解体する依頼もあることだ。「個人宅で、広い日本庭園を維持、管理し続けていくのは難しいことだと理解しています。それでも、たとえ庭を縮小してでも、大切な木、良い石は残してほしい。長い年月をかけて調和のとれたそれらのものは、一度取り去ってしまったらもう二度と元へは戻せません」と村雨さんの目は真剣だ。

村雨さんは、それまで日本庭園の良さを海外に広めたいと思っていたが、その魅力を日本人にも伝える必要があると考えるようになった。

「日本にとって伝統文化は大きな資源です。それを見たいと思う海外の人がたくさん日本を訪れるからです。日本は伝統文化を大切に守るだけではなく、これからもっと磨きをかけていくべきだと思います」と村雨さんは言う。

「盆栽は今や日本国内より海外で人気が高いです。」と村雨さんは指摘する。「もっと日本のみんなが、趣深い日本庭園で見い出されるように日本文化の良さを見直していけるよう、僕も一人の日本人として、自分にできることを探していくつもりです」