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Highlighting JAPAN

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山中漆器:日本オリジナルの喜び(仮訳)

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漆器製作グループ会社のNussha(ヌッシャ)は、石川県山中の伝統工芸を世界中の洗練された市場へともたらしている。ギャビン・ブレアが報告する。

日本海沿岸にほど近い石川県の山中地域では、16世紀後半から漆器が作られてきた。当時、この地にある温泉を目当てにやってきた人たちは、陶芸家が使っているものと似た、足の力で回す地元のろくろ挽き技術を用いて作られた器具に感嘆し、それらを自分たちの住む地域へ土産として持ち帰った。

このろくろ挽き木製器具の評判が広まるにつれ、山中は日本中にある他の漆器生産地域にそうした生産品を提供する供給地となった。 一方、さらに洗練された漆塗り技法がそうした他の漆器生産地域から山中へともたらされた。この地の漆器産業はその後も発展し続け、現代的な生産技術を伝統技巧に取り入れて、戦後まもない時代までに日本で最大の生産地となっていた。

山中漆器は1970年代に政府によって正式に伝統工芸に指定され、漆器産業の正式な訓練や資格がそれ以降導入されてきた。地元の工芸組合である山中木製漆器組合は、この地域の製品が4人の異なる職人の手による4段階の個別プロセスを確実に経て作られるよう認定システムを創設した。正式な山中漆器を生み出すための4段階とは、木地挽き、下地、上塗、および蒔絵である。こうして作られた製品には、その認証としてJOY(ジャパン・オリジナル・ヤマナカ)マークが与えられている。

たつみやは、安価な輸入品という難題に直面しながら、地元産業に継続して取り組んでいる数多くの漆器会社のひとつである。1945年に設立されたこの会社は、高度経済成長の時代に大きく発展した。たつみやの製品は、好景気に沸く結婚産業の贈答品としてことの外人気を博したからである。1990年代初めのバブル経済崩壊後、同社はプラスチック製の弁当箱など、日常的に使う食器類に重点を移した。その一方で、伝統的な漆器製品の一部もそのまま維持し続けた。

地元工芸を保護し、それと同時に新たなビジネス機会や市場を模索したいという希望を抱いた、たつみや三代目の社長である山口雅功氏は、伝統産業を振興する意図でさらに近年設定された別プログラムに好機を見いだした。

山口氏は、「海外での販売に重点的に取り組むため、JAPANブランド支援プロジェクトに参加しようと地元の会社7社とともにNusshaを設立した」と語っている。「我々には、ここ山中で漆器という物づくりの技巧がありましたが、海外市場のニーズを把握し海外とのコミュニケーションを図るため、ミラノを拠点とする日本人デザイナーの富田一彦氏と提携したのです。そうして、2005年に初参加したフランスのメゾン・エ・オブジェ展示会で出品した製品群に「メイド・イン・ヤマナカ、デザインド・イン・ミラノ、ソールド・イン・パリ」のタッグを付けることができました」

Nusshaの製品群は、その後パリやロンドンのミュージアムショップや他の厳選された販路で販売された。

山口氏の説明によると、「ヨーロッパのメディアからは、大きな関心が寄せられ、こうした当初の時期でさえ、年間で4,000万円ほどの売上げがありました」

「ヨーロッパで多大な関心を集めると、メゾン・エ・オブジェに出席していた日本のバイヤーも興味を示したので、翌年には逆輸入ルート経由で国内市場でも販売を始めたのです」

Nusshaグループの参加会社は現在5社で、石川県出身の地元デザイナーを起用し、近くにある金沢美術工芸大学の学生とのコラボレーションにも取り組んでいる。

皿、受け皿、ボウル、茶托、ボックス、トレイなどで構成されるVenieシリーズは、たつみやがNusshaのために作った最初の製品群で、今でもベストセラー商品である。その独特の外見は、製造プロセスで着物のような織物を使って生み出されており、全く同じものが二つとない。

山口氏は、こう語っている:「Nusshaの参加企業としてデザインやマーケティング面で学んだことは、当社事業の別分野でも活かすことができました」

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