Home > Highlighting JAPAN > Highlighting JAPAN 2012年1月号 > 独特の糸を紡ぎ出す佐藤繊維(仮訳)

Highlighting JAPAN

前へ次へ

Japan Brand

独特の糸を紡ぎ出す佐藤繊維(仮訳)

English

佐藤繊維が手がける、数多くの婦人衣料やアクセサリー関連のブランド・アイテムは、そのこだわり抜いたもの作りで世界中の女性たちを魅了している。ギャビン・ブレアが、佐藤繊維の代表取締役兼クリエイティブディレクターである佐藤正樹氏に彼のデザイン哲学について尋ねた。

紡績糸専門会社である佐藤繊維の四代目代表取締役である佐藤正樹氏は、自社の伝統的なビジネスに沿ったファッションブランドの創出に着手した際、日本で売り出す前にニューヨークに打って出ようと決心した。M.&KYOKOブランドは佐藤氏と彼の妻によって創設され、彼らの名前にちなんで名付けられたものだが、そのグローバル志向のビジョンは、 20世紀初めに東北地方の田舎でうぶ声を上げた会社にとっては、明確なものだった。

多くの日本人トップデザイナーの出身校で、厳しいことで有名な東京の文化服装学院を卒業した佐藤氏は、次のように説明している。「私たちが目指したのは、ヨーロッパのファッションに追随するのではなく独自のアイデンティティーを擁する現代的な日本ブランドを生み出すことでした。当社が数ある他のファッションブランドと一線を画するのは、服をデザインするだけでなく糸から完成品まですべてを自社で賄っているということです。プロモーションも自前でやっているのです」

佐藤繊維の始まりは、正樹氏の曾祖父にまで遡る。彼は、雪に閉ざされ野良仕事ができない、山形県の農村部の長い冬の新たな産業として、この会社を興したのだ。当初、佐藤繊維は着物用の絹を紡いでいたが、西洋の衣服が日本で日常的になるにつれ紡毛糸の生産に移行していった。

西洋スタイルのニットや毛糸の影響を受けたものの、佐藤繊維は自社独自の繊維を革新し開発し続けた。そうした変革の多くは、糸を生み出す旧式紡績機の改善をもとに可能にしてきた。業界他社が実現不可能だと考えていた極細モヘヤ毛糸も、その一例だ。

佐藤氏の説明によると、「10年ほど前に家業を受け継いで以来、他のどこにもない独特の紡績糸や応用品を生み出そうと取り組んできた」という。

「製糸・紡績業界向けに新しい機械が開発される場合、品質や職人芸の向上よりも効率性やコストの削減に目が向けられています」と、佐藤氏は語っている。彼の会社では、別の面に重点が置かれていることを指摘してのことである。

今なお山形県寒河江市の自社工場で衣料を生産している佐藤繊維は、より安価な輸入紡績糸には価格面で太刀打ちできないと悟り、日本式の「ものづくり」の職人芸で作られる高級素材に重点を置くことを決めた。佐藤繊維では、特別な繊維を生み出すため、新潟、名古屋、大阪の専門職人たちの手も借りている。そうした作られた繊維は、世界中のハイファッション・レーベルの御用達となっている。ミシェル・オバマが、夫バラクの歴史的なアメリカ合衆国大統領就任式の際に着ていたニナリッチのモヘア・カーディガンもその一例である。

自社製品用に最高の原材料を調達するため、佐藤氏は年に一度世界中の農園を回り、南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリア、南米、モンゴル、中国にまではるばる足を運んでいる。

羊毛オタクを自称する佐藤氏は、「羊毛は種類によって品質が異なるのです。ちょうど人間の髪の毛が人種によって違うようなものです」と語っている。

佐藤氏は、自社製品を特徴づける事細かな点に気を配る彼の強烈な情熱を佐藤繊維の製品を買う顧客の多くが共有していると考えている。

「おそらく、当社の衣服に興味があるのは100人中1人だけでしょう。それでも、好きな人は本当に大好きなのです。私たちは、それでいいと思っています」

現在、M.&KYOKOブランドには日本で8つの専門店があり、同ブランドはヨーロッパやアジアでも販売されている。また、佐藤繊維は、ニットアクセサリーのブランドである Masaki Kyoko、M.&KYOKOのディフュージョンブランドのm. by M.&KYOKO、女性向け日常ニットウェアブランドのFUGA FUGAなどのブランドも展開している。

現在、佐藤繊維はその傘下に6つのブランドを擁しているが、代表取締役兼クリエイティブディレクターが語るその夢とは、初めから終わりまですべてを管理して自らの商品を生み出すチャンスがある若いデザイターたちとのコラボレーションによってさらに多くのブランドを展開していくことである。

佐藤氏は、「最も重要なことをひとつ挙げるとすれば、それは技術や職人技を次の世代へと継承していくこと」だと語っている。

前へ次へ