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Highlighting JAPAN

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特集震災から1年:被災地で活躍する外国人

「第二の故郷」福島とともに(仮訳)

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ルワンダ人カンベンガ・マリールイズさんは、100万人とも言われる犠牲者を出した1994年のルワンダ虐殺の悲劇を生き延び、家族と共に福島県福島市に移り住んだ。東日本大震災のあとも「第二の故郷」福島にとどまり、様々な活動を行っている。山田真記が報告する。

福島県福島市に住むルワンダ人、カンベンガ・マリールイズさんと福島とのつながりは、1993年に遡る。ルワンダで洋裁の専門学校の教員をしていたマリールイズさんは、この年、国際協力機構(JICA)の招へいにより来日、技術研修生として福島の専門学校で洋裁の技術を学んだ。1年間の研修を終え帰国して間もない1994年4月、首都キガリで民族間の大規模な内戦が勃発、マリールイズさんとその家族は、戦火をぬって、命からがら国境を越え、隣国の旧ザイールに逃げ延びた。

「内戦の中、家族全員が生き延びられたことは、まさに奇跡でしたね」とマリールイズさんは振り返る。

このとき、マリールイズさんが来日できるように奔走したのが、福島の友人達であった。友人達の努力が実り、マリールイズさんは1994年12月に留学生として家族共々日本の地に降り立つことが出来た。そして2000年、福島の友人達と共に、ルワンダの子どもに教育の機会を与えるという目的で、「ルワンダの教育を考える会」を設立した。マリールイズさんは全国各地の学校や公民館をまわり、自身の体験を通じて命、平和の大切さを訴える講演会を数多く行ってきた。そして、多くの日本人から支援を受け、2002年に幼稚園と小学校が併設された「ウムチョムイーザ学園」を首都キガリに開校させている。

「私がここまで来ることが出来たのは福島の友人のお陰です」とマリールイズさんは言う。「福島は私の第二の故郷です」

その第二の故郷を東日本大震災が襲う。マリールイズさんや家族は直接的な被害は受けなかったが、多くの日本人の友人が被災をした。マリールイズさんがルワンダの人々に支援を呼びかけると、多くの反響があった。ウムチョムイーザ学園からは、子ども達のメッセージと義援金が寄せられた。また、知人であるルワンダ人の歌手は、日本の応援歌を作ってくれた。

マリールイズさんも積極的に福島の仮設住宅を訪れ、ルワンダのコーヒーと紅茶、手作りのケーキを振る舞い、被災者を元気づけている。そうした時は、必ずルワンダ人歌手による応援歌の録音も持って行き、被災者に聞かせているのだ。

また、海外メディアの取材に積極的に応じて、震災後の福島の現状を世界に伝えている。例えば、昨年9月にルワンダへ一時帰国した際には、地元のテレビ、ラジオ、新聞の取材を受けている。

「私は福島県や福島国際交流協会などから福島第一原子力発電所事故に伴う放射線情報を集めています。私はルワンダ語と日本語のほか、英語、フランス語、スワヒリ語を話すことができますので、ともすると風評被害を受けがちな福島の正確な現状をタイムリーに世界に向けて発信しているのです」とマリールイズさんは言う。「これは福島で暮らす私の務めだと思っています」

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