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徳川美術館(仮訳)

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名古屋の徳川美術館は、尾張徳川家の遺愛品を収蔵し、江戸時代の裕福な権力者の生活を垣間見せる比類ない展示品を誇る美術館。ジュリアン・ライオールがこの美術館を探訪する。

日本の封建時代の侍は、幅広い武芸を身につけた戦士であった。しかし、彼らが単なる戦士をはるかに超えた存在であり、芸術に優れ、創造性に富み、学問に通じていたことは歴史上見逃されがちである。

徳川美術館は、名古屋の中心部に位置する尾張徳川家発祥の地に立地し、日本の幕藩体制下の封建領主の生活をバランスよく見事に紹介している。13世紀にさかのぼる完璧な出来栄えの刀剣、中国の影響を受けた茶道具、徳川家の家紋が入った火縄銃、能舞台用の面、戦場で用いられた兜や軍旗を見ることができる。

コレクションの総数はおよそ1万点におよぶ。学芸員の小池富雄氏によると、日本全国の他の将軍家や大名家はすべて、時代の変化の中で何世代もかけて集められた品々をやむなく売却したため、これだけのコレクションは特に貴重であるという。

「尾張徳川家は尾張の国の領主であり、17〜19世紀にかけて名古屋城を居城としました」と小池氏は言う。「現在は、22代目になります」

徳川美術館は、尾張徳川家の19代当主の遺愛品となった家宝の展示を目的として1935年に開館した。収蔵品は徳川幕府(1603-1867年)の創設以来尾張徳川家に伝えられてきたものだ。

美術品、調度品、鎧兜、衣装をはじめ、幕府の創設者である徳川家康が日々の生活に使用した数え切れないほどの品々が、今もコレクションの中核を占めている。

この美術館は9件の国宝を所有し、その1つは12世紀に描かれた「源氏物語絵巻」である。さらに、59件の重要文化財、46件の重要美術品を所蔵する。

小池氏によると、美術館は複数の展示室に分かれており、展示品は4週ごとに入れ替わる。

訪れた人はまず、侍の身分を示す品々を展示する部屋に入る。雅やかな曲線を描く刀身。兜や面を含む一そろいの見事な甲冑。弓矢や槍も戦士の用具として展示されている。

刀の1つは解体され、制作した職人の技量がわかるように展示されている。鞘は黒漆。小池氏によると、この黒漆に感嘆した欧州の18世紀のピアノメーカーが自社のピアノの塗装にこの素材を活かしたという。一方、鍔(つば)——手を防護する部位——は、それ自体が小型の芸術作品をなし、金と銀の鳳凰、龍、梅の装飾が配されている。

刀には小さな短刀が内蔵され、これには文書を開封したり、文書に血判を押す際に親指に傷を付ける用途があった。同時にその柄は持ち主の侍の耳かきにもなるように形作られた。

これは、侍が身だしなみを重視した証である。

2つ目の展示室には、「猿面茶室」が復元されている。これは名古屋城に設けられていた茶室であり、ここで「大名」自らが茶を立て賓客をもてなしたという。領主は茶を立てるのみならず、茶花もたしなみ、自らの芸術性を披露したのかもしれない。

美術館には名古屋城の公式行事に用いられた広間がしつらえられ、そこには中国の影響を強く受けた三幅対の掛け軸、大量の金を使った絵画、儒教絵画が飾られ、床の間には領主の学術活動を示す筆記用具が置かれている。

これに続く部屋には能舞台に使用される面や装束が展示されている。小池氏によると、傷みやすい絹地の着物には細心の注意が払われているという。着物の多くには、制作の時期や由来を記した文書がつけられている。

この美術館のコレクションを傑出させているのは、それぞれの品の制作にあたり細部にわたり行き届いた配慮がなされていること、そして心を込めた手入れによりそうした品々が今日にいたるまで良い状態に保たれていることであろう。

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