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Highlighting JAPAN

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連載|日本の伝統を受け継ぐ外国人

尺八に新たな息吹を(仮訳)

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米国・カリフォルニア州出身のジョン・海山・ネプチューン氏は、1,000年以上の歴史を持つ日本の伝統楽器、尺八の奏者だ。彼の、尺八と世界の様々な楽器とのコラボレーションによる独自の音楽世界は、日本はもとより海外でも好評を得ている。ネプチューン氏に山田真記が話を聞いた。

それは日本人の私にとって全く未体験の音楽だった。インドの伝統的な太鼓mirdangamとドラム、ベース、ギターが奏でる複雑なリズムとサウンドの中を、時にフルートのように、また時にクラリネットのように聞こえる尺八の音色が駆けまわる。インドでレコーディングしたという自作のCDをかけ、これに合わせて尺八の生演奏を披露してくれたネプチューン氏は、尺八の魅力をこう話した。

「尺八は、自然の竹筒に5つの穴をあけただけの、とてもシンプルな楽器です。でも、生み出すことが可能な音の幅が本当に驚きでした。また楽器ばかりでなく、風の音や鳥のさえずりを表現することだってできるのです。私は、この尺八ならではのフレキシブルな魅力のとりこになってしまったんです」

ネプチューン氏と尺八との出会いは、彼が大学生だった頃にまで遡る。小学生の頃からの趣味であるサーフィンを究めようと、彼はハワイ大学に入学し、民族音楽を専攻した。

「高校時代にロックバンドのドラムをやっていたこともあって、大学ではインドの民族楽器であるタブラ(インドの太鼓)を勉強したかったんです。でも、ハワイにはタブラを教えてくれる先生がいませんでした。それで第2希望の尺八を学ぶことになりました。今思うと、私と尺八との出会いは、サーフィンのおかげだったとも言えますね」

1973年、ハワイ大学を休学してネプチューン氏は、尺八の修行をするために京都に1年間短期留学した。その後、学位を取得するため一旦ハワイに戻ったが、大学を卒業すると再び京都に移り住んだ。そしてさらに2年間の修行を重ねた末、1976年に、尺八都山流師範免許と共に「海山」という雅号を得た。

1980年代に入ると、ネプチューン氏は、尺八と他楽器との出会いをテーマとしたツアーとアルバム製作を本格的に開始した。世界各地の音楽を学び、それらとコラボレーションすることで、尺八の新たな世界を探り始めたのだ。

「尺八の可能性をさらに広げたくて、世界の多様な音楽文化を取り入れたアルバムを作るようになったんです。最初に挑戦したのはジャズバンドとのコラボでした。その後、ドイツの教会で弦楽四重奏団と共演したり、インドではインドの民族楽器と尺八とのコラボを試みました。曲は作曲・編曲ともに全て私のオリジナルです。こうした様々な国の音楽とコラボをし、尺八にはまだまだ無限の可能性があるというということを、あらためて感じました」

ネプチューン氏は、こうしたコラボ演奏のCDを23枚も製作しており、アメリカやヨーロッパ、アジアの国々でも販売されている。海外からは「尺八の音がとても新鮮」「バックの演奏に尺八の音が自然に溶け込んでいる」といった感想が多く聞かれるという。

現在ネプチューン氏は、日本屈指のサーフィンのメッカである千葉県鴨川市に居を構え、自ら竹林を守り育てながら、手作りの尺八や竹筒を使ったオリジナルの打楽器作りにも取り組んでいる。

「既成の尺八では得られない自分だけの音を求めて尺八を作るようになりました。でも、なかなか納得のいく音には出会えませんね。すでに40年以上演奏をし、200本以上の尺八を作っているのですが、いまだに音探しを続けています。おそらく死ぬまで探し続けることになるでしょう」

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