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連載|日本の博物館・美術館

島根県立古代出雲歴史博物館(仮訳)

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出雲大社の真の起源を確定しようという継続した研究は、その近くにある島根県立古代出雲歴史博物館で目を見張るような展示として記録されている。ジュリアン・ライオールが同美術館を訪ねた。

日本全国で最も重要な宗教史跡のひとつである出雲大社は、起源や歴史、その様式でさえ神秘や伝説のベールに包まれている。現在の島根県北部の海岸にほど近い位置にある出雲大社は、最初に創建されたのがいつなのかという文書記録が一切現存していない。そうした中、この場所を優雅に彩ったと思われる当初の建造様式については、これまでに多くの論争が繰り広げられてきた。

いずれにせよ、紀元950年まで遡ると言われる48メートルほどの高さの社殿は、神々が住んでいた場所だと信じられてきた。

2000年に実施された現場発掘調査によって、社殿の柱を構成するため束ねられた巨木の幹の遺物が発見された。この発見は、大国主命を祀る神社がかつてどのような姿だったのかという理論を裏付けるものとなった。

現在、現場では出雲大社の歴史を定めるための調査が続いており、その詳細は近くにある島根県立古代出雲歴史博物館で見ることができる。

「かつて大社の姿はこうだったというさまざまな様式が五つのグループから提言されていたのですが、支柱の大きさから見るとかなり大きな建造物だったことが少なくともうかがわれます」。こう語るのは、同博物館学芸員の浅沼政誌氏だ。「かつての大社は非常に高い柱の上に建っており109メートルの階段でつながっていたと考えられていますが、その様式やどのような色彩で塗られていたのかということさえ、その詳細を知ることはままなりません」。大社の歴史がここでの展示品の中心なのだが、この博物館は島根の歴史や文化を幅広く物語る存在でもある。

この博物館を訪れる者は、この地域に点在する村落に何百年も前に住んでいた人々の等身大モデルを見ながら過去へとタイムスリップすることになる。管状やコンマの形をした宝飾品として用いられたと思われる碧玉やめのうの勾玉展示コーナーがいくつか設けられている。他のコーナーでは須恵器が山間の窯で仕上げられる様や、後年代における石見銀山での銀採鉱がどのようなものだったのかを知ることができる。専門家の考えによると、産出最盛時には毎年38トンもの銀が石見銀山で採鉱されていたという。

そうした中、全展示品の中でも異彩を放つ存在に目を奪われる。日本の考古学史上最も注目すべき発見の一事例を展示するため、ひとつの展示ホール全体があてがわれているのである。そこでは、寄り添うように埋められていた358本の銅剣が展示されている。他にも銅矛や様式化された銅鐸が多数展示されており、その多くが鹿や亀、その他の動物の模様や図柄が刻まれている。

これらの文化遺物は1984年に森林に覆われた山腹で発見されたものだ。およそ2000年前の弥生時代の人々の作品で、どれもみな非常に似通った様式だった。

刀剣はひとつひとつが入念に作られ、その後、きちんと列に揃えて並べられて埋蔵されていた。こうした武器がなぜこの地に埋められたのかという点については専門家の間で意見が分かれているが、それらの遺物が発見されたことでそうした埋蔵物が博物館を取り巻く山々でさらに発見されるのを待っているのではないかという期待が当然のことながら高まっている。

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