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Highlighting JAPAN

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日本の輝く技術力~中小企業の革新~

三鷹光器株式会社

イノベーションの彼方に(仮訳)



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三鷹光器は、1966年に東京天文台‐現在の国立天文台‐の近くで創業して以来、望遠鏡やロケット搭載用観測機器から始まって医療用顕微鏡、精密三次元測定装置や太陽熱エネルギーシステムなどに事業を拡大してきた。

三鷹光器の常勤従業員数はわずか57名だが、他社との提携や協力によって世界を舞台に事業を展開している。同社は、光学分野におけるドイツの大企業・ライカ マイクロシステムズ社との27年間にわたる提携関係によって米国の手術用顕微鏡市場において約半分にまで浸透しているほか、アメリカ航空宇宙局 (NASA) や日本の宇宙航空研究開発機構 (JAXA) と協力してスペースシャトルに搭載するカメラや宇宙探査機に搭載する電子分光装置を納入してきた。

同社の中村勝重社長は、「私は、誰よりも詳細に画像を捉えることができます」と情熱を込めて語る。彼は、自分の生き方が東京天文台で巨大な天体望遠鏡の組み立て責任者であった父親の影響を受けていることがよく分かっているのだ。

中村氏が兄の義一氏と共に三鷹光器を創業したのは若干22歳のときであった。彼は、その年にコリメーター(平行光線を作る装置)の動作構造を考案し、ブラックホールであると広く認められた初めての宇宙X線源である、はくちょう座X-1の位置を正確に捉えることに成功した。

彼の会社では、現場での工夫を重要視しており、机上の学習には価値を求めていない。三鷹光器で働くために必要なのは、繰り返し注意深く状況を把握する能力と、技術は言葉で説明するものではなく実際に証明するものという認識だけなのである。

実際、三鷹光器の本社では、机の側面にはレンチ、ドリル、粘着テープなどが下げられていて機械加工の残骸が転がっており、頭脳集団というよりは発明家の巣窟という趣である。入社試験では、ペーパーテストだけではなく、模型飛行機の組み立てや裸電球の模写なども行われる。中村氏は「私は小学校に入学する前から三次元の図を描いていました」と語っており、今でも考え付いたことを手書きのイラストに起こしている。

この企業が成功した理由は何であろうか。中村氏は「アイデアです。自分自身を現場に置くことによって生まれるアイデアなのです」と言う。三鷹光器とライカの提携関係についても、「もし単にレンズだけの提供にとどまっていたら、ライカは顕微鏡の製造を自分たちで始めていたでしょう」と分析する。

中村氏は、ライカと提携事業を始めるに当たって幾人もの外科医に会い、手術に関する知識を得て、既存の神経外科用顕微鏡には2つの重要な問題があることを把握した。その問題というのは、非常に長すぎて医師の腕にあたり障害となること、また大きすぎて手術室での行動を制約してしまう、という点であった。

三鷹光器は現場の熱意と最新の専門知識を合わせて顕微鏡を設計し直し、0.05mmから0.5mmという細い血管の接続手術が可能な精度を実現しつつ装置の小型化にも成功し、手術時間の大幅な短縮に貢献した。現在、三鷹光器は製品を売り込む際、外科医に説明を依頼している。

中村氏は、「当社ビジネスの60%は医療機器です。残りの40%中の20%は測定機器であり、20%は望遠鏡の製造やエネルギー開発関連です」と語る。

三鷹光器は現在、熱を一点に集中させるために鏡を使用することによって太陽熱エネルギーから電力を得る技術を開発している。太陽光の照射を直接吸収するため発電力が光量に左右される光電池とは異なり、太陽熱を集中させ持続的に蓄える特性がある太陽熱発電システムでは24時間電力を生産することが可能であり、中村氏はこれを利用して化石燃料依存度の低下が図れると考えている。

彼はこのアイデアをどのようにして思いついたのだろうか。「よく考えてみたところ、“地球上のあらゆる生命を育んだのが太陽であるならば、その偉大な太陽の恵みを利用するという原点に戻るべきだ”という確信を得たのです」。

三鷹光器にとっては、無限の力を秘める太陽でさえ単なる始まりに過ぎないのだ。



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