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Highlighting JAPAN

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連載 47の物語

山口

西日本へと橋を架ける(仮訳)




本州の最西端にある山口県は日本の歴史に大きく貢献してきた県だ。現在の安倍晋三首相を含め、多くの日本の首相を輩出しただけでなく、明治維新の幕開けで大きな役割を果たした県でもある。

山口県は瀬戸内海と日本海の両方に面している。ごつごつした岩が縁取る日本海側西岸の沖には角島が横たわっている。角島大橋が長さ2kmにかけてエメラルドグリーンの海を渡り、いくつかの映画やテレビドラマの撮影にも使われたこの美しい島へとつながっている。訪れた人たちは角島の石造りの灯台(1876年に建造された)の螺旋階段を上り本州の海岸線を眺望することもできる。

県最西部の下関は山口最大の都市で、地理的に隣接する九州との接点として長い歴史を刻んできた。活気ある下関港はアジア諸国への玄関口でもある。下関で最も知られる食べ物は、猛毒を持つとして知られるフグである。フグのいくつかの部位(目も含む)は、テトロドトキシンという、食べたらほぼ間違いなく死にいたる猛毒を含んでいる。1500年代に当時の権力者豊臣秀吉の兵たちが正しく調理されていないフグを食べたことによって命を落として以来、フグを出すことは禁じられていた。その後1888年、当時の首相伊藤博文が「このおいしさは再び食べられるべきだ」と宣言したことによって禁止令は解かれた。現在ではフグを調理する料理人は正式な免許を持っているので、フグを食べて命を落とすことはなきに等しい。

禁止令が説かれた際、最初にフグを出すことを許可されたのは歴史的な料理店でもある春帆楼だ。春帆楼の料理人はふぐの身を薄く透明な切り身にスライスし、丸い陶器の大皿に、通常菊の花のかたちに芸術的に盛りつける。この一皿をつくる速さ、切り身の薄さ、そして見た目の美しさからも料理人の腕前が伺い知れる。

歴史的な城下町、長府も下関にある。長府庭園には3つの古くからある倉庫と池のある趣あふれる日本庭園があり、のんびりと散歩するにはうってつけだ。「下関市に宿泊の観光客のみなさまも、同市国際課にご連絡いただければ、武士のよろいや着物をまとって庭園で写真を撮っていただくことができます」と下関市国際課の主任である植田禎俊は話す。

この歴史的地区では武家屋敷街を抜ける細い道がある。よく保存された長府毛利邸以外には、古い屋敷で今もその姿をとどめているものは少ないが、当時の土塀や石垣が今もこの街に住む人たちを囲んでいる。将軍を追放して明治天皇をふたたび仰ごうとする運動の発祥地となった功山寺もこの近くにある。

広島県との県境近くにある岩国市は有名な錦帯橋があるところだ。1673年に最初に建設されたこの木の橋は美しいアーチを持つ5つの部分から成っており、錦川にかけられている。この橋は部分的に20年毎に改修される。長さ約200メートル、幅約5メートルのこの橋は日本三名橋にも数えられる。名高い日本酒「獺祭」の蔵元である旭酒造は、岩国からほど近い山間にある。

ここで取り上げた場所以外にも山口は歴史的な街や名所旧跡、美食には事欠かない。めまぐるしい現代社会を抜け出し、波をわたり、日本の近代化の幕開けに想いを馳せる。山口は人々をそんな旅へと誘うのだ。



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