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Highlighting JAPAN

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連載 ご当地グルメの旅

鯖街道(仮訳)

京都の人々が新鮮な海産物を味わえるよう、港町から田舎道を通り、山道や森林を越えて屈強な男たちにより魚が運ばれた。


薄暗い雑木林に漂う霧に光が差し込むなか、疲れ切った旅人が丘の頂に辿り着く。耳をプルンと動かしたシカは、笹の上に口先を寄せたまま静止し、木々の上からはサルたちのおしゃべりが微かに聞こえてくる。運送人であるその男は、背負った荷物の位置をずらす。その籠は、獲れたてのギラギラした鯖を今朝若狭湾で詰めてきたもので、腐敗しないよう塩漬けされている。ぐずぐずしている暇はない――旅人は昼夜通して森林を抜け、山道を通り、夜明けまでに京都の活気溢れる市場まで辿り着かなければならないのだ。イグサで編まれたつばの広い帽子をかぶり直し、40キロの籠をもう一度背負い直した旅人は、薄暗い小道へと重い足取りで進んでいく。

鯖街道の歴史は、少なくとも13世紀前の奈良時代 (710~794年) まで遡ることができる。福井県の小浜市 (小さい浜辺の意) は、広大で陸地に囲まれた若狭湾に面しており、海産物が豊富で穏やかな海の側にある天然港である。近代的な運送手段が登場する前の時代は、食品を人の足や馬で運ばなければならず、京都や奈良といった内陸部の都市は魚介類などの新鮮な食糧を入手しにくい状況にあった。

外洋に最も近い港である小浜は、内陸部への供給路の拠点となった。実際のところ、小浜と京都の間にはいくつかの経路が存在し、積み荷の種類によって決められた。米のように、腐敗に時間がかかり、大きく、かさばる積み荷は、内陸方向へ馬で少し運び、それから船で琵琶湖を渡らせた。しかし、鯖のような生鮮食品は貯蔵期間が短いため、最も直線的な経路で運ばなければならなかった。それこそが、小浜・京都間をほぼ一直線につなぐ18里 (約72キロメートル) の辺境を通る鯖街道である。

京都に着く頃には、鯖は最適な状態になっていた。塩加減がちょうど良く仕上がるのだ。最も人気のあった食品は、酢飯の上に鯖の切り身を乗せ、場合によっては薄い昆布の漬物をさらに上にのせて一緒に押し固めた鯖寿司だった。この食べ物は、特に祇園祭や葵祭といった宗教的な祭典で特に好まれていた (英語には「Holy mackerel (聖なる鯖)」という古い表現があるが、上記の事実はこの慣用句に新たな意味を与えるものだ)。

若狭湾の鯖と鯖寿司は、現代的な鯖料理の数々と並び、今日でも京都の市場で見つけることができる。もちろん、それは小浜でも同様だ。小浜市の地元民が特に薦める鯖料理は、鯖を丸ごと串焼きにし、醤油と生姜だけを添えて提供される焼鯖である。

小浜で最も人気のある焼鯖のお店の一つ「朽木屋」の12代目当主である益田隆氏は、魚にいくつか切れ目を入れ、10~15分間片側を焼いて余分な脂肪をすべて落とし、その後裏返して旨味のある油を保つことで、しっとりとしてジューシーな、ほのかに甘みのある焼鯖が出来上がると説明する。その味わいに喜んだ客の一人が語るように、「魚が嫌いな人でも、これを食べたら考えが変わるだろう」。益田氏が作る焼鯖は大変人気があるため、たいてい午前中には売り切れてしまう。朽木屋の近くには鯖街道の歴史を学べる資料館や鯖の加工品を扱うお店「田村長」があり、ここの鯖缶は絶品だ。

小浜市商工観光課の石橋克浩氏は、他の土地では鯖のことを魚臭いと思われていたり、一級品扱いされていないかもしれないが、小浜においてはそうではないという。「ここの鯖は、本当に美味しいんです。私は、小浜で加工された鯖を一度食べたら、他の鯖は口に入れることすらできません」と石橋氏は語る。

ハイキング愛好者にとって嬉しいことに、鯖街道は今でもその全体、もしくは一部を歩くことができる。ガイド付きのツアーが良いのであれば、杉谷長昭氏らが運営に携わっている「〜京は遠ても十八里〜鯖街道体験ウォーキング」が毎年5月上旬に開催されている。広葉樹が芽吹いてまるでグリーンシャワーを浴びるような4月下旬から5月にかけてのゴールデンウィークはウォーキングにうってつけの時期である。この2日間のウォーキングでは、中間地点で山荘 (ベッドと朝食付き) に泊まり、参加者は翌日の旅に備えて足を休めることができる。この街道は、鯖以外にも歴史的なものに満ちていると杉谷氏は語る。後に将軍となる徳川家康も、戦いの後京の都へ戻るために1570年この道を通ったと伝えられている。

ガイドなしでウォーキングすることも可能で、野外に泊まりたい人は街道沿いでキャンプすることもできる。そのような目的に適したキャンプ場が、街道の中間地点である京都市久多にある。より実際に近い経験をしたいという人は、鯖運送人の旅をさらに忠実に再現して40キロの荷物を背負って歩くのも面白いだろう。

徒歩で旅行しない人たちは、鯖街道の中でも若干遠回りであるものの、よく使われた経路の中継地点にある熊川宿に立ち寄ると良いだろう。この魅力的な町は1589年から続く宿場町であり、小浜・京都間の中継地点として江戸時代 (1603~1867年) に栄えた。かつて200棟以上の建物が存在し、最大1千頭もの馬や牛を一度に収容したこの町は、現在約100棟の歴史的建造物からなり、江戸時代の魅力を今に留めている。古風な店舗やカフェが軒を並べる趣ある長い通り沿いには、前川と呼ばれる水路があり、通りをゆったりと散歩する際に水の流れる心地よい音が聞こえてくる。

このエリアを訪れる際、若狭塗箸 (漆塗りが施された箸) を見てみるのも良いだろう。日本の伝統的な食文化である和食は、近年ユネスコの無形文化遺産に登録されたが、小浜市はこの和食において重要な要素である塗り箸の国内シェアのうち約80%を占めている。一組作るのに数ヵ月もかかるというこの箸は、漆塗りを幾層にも重ねたものであり、近隣の海で獲れる青貝などの貝をはじめとした天然素材を何層かにわたってちりばめて作られている。漆の最上層をあえて研ぐことで、その下の層の光沢や色彩、輝きを出している。

若狭地方には27もの塗り箸の関連団体が存在する。「箸のふるさと館WAKASA」はそれぞれの団体のサンプルを取り揃えており、地元で作られた箸が3,000組以上も展示されている。その中にはギネスブックに認定された世界最大の箸もある。同館には研ぎ出し体験コーナーもあり、若狭の貝殻がちりばめられた箸を自分の手で研ぎ、お土産として持って帰ることができる。

今日では京都と小浜の間を2時間程度で移動することができる。だが、鯖街道を訪れ、その道のりを歩くことで、日本におけるこの土地の文化と歴史に関して新たな発見をすることができる。そして、この美しい土地が貿易や文化、過酷な労働を通じて発展してきた過程も実感できることだろう。



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