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Highlighting JAPAN

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日本の秋

日本人の心に描かれる秋の情緒 (仮訳)

ロバート・キャンベル氏インタビュー 

日本人にとって秋が持つ意味とは何か。日本文学の中に描かれた秋や日本特有の秋の楽しみ方などについて、東京大学大学院教授であり、テレビや新聞など様々なメディアでも活躍する日本文学研究者のロバート・キャンベル氏に話をうかがった。

――日本人にとって秋とはどのような季節なのでしょうか。
古来日本は、季節の微かな移ろいを敏感に拾い上げて、その予感を歌に詠む「迎へ詠み」を風流としてきました。現代に至っても人々は日常的に気候の挨拶を交わします。諸外国にも鮮やかな四季の変化はありますが、日本人は農耕民族ならではの文化的アイデンティティとして四季を強く意識しています。

冬と夏というそれぞれ過酷な両極の気候からの解放を肌で感じ取る喜びゆえか、和歌や俳句に詠まれる季節としては、春と秋が圧倒的に多い。特に秋は、夏の高温多湿から解放され、豊かな実りや音楽、衣替えなど、最も五感を使う感覚的な季節です。命が燃える炎のような夏のあとに、次第に枯れ衰え、眠りにつく季節たる秋が来る。儚さを意識するから、人恋しさも募ります。それで秋には手紙を書きたくなったり、旧知の友人に会って食事をしたり、行楽や旅を堪能したりするのかもしれません。

――日本らしい秋の風習には、どのようなものがありますか。
日本人の感覚では、8月中旬のお盆を過ぎればもう秋です。お盆とは、現世へ帰って来る先祖たちの魂を迎え、数日ののちに再び送るという日本のスピリチュアルな行事です。過去から現在へ流れる時間の中に自分の存在を確認し、それを経て迎える秋は、とても精神性の高い季節と言えます。

稲刈りを行う10月には、全国各地で実りを祝う祭りがあります。祭りで人々が一つになって、収穫を祝い感謝し、お酒を飲み、歌を歌う。祭囃子には華やぎながらもどこか寂しさがあるのは、そこに仏教的な無常観が流れているからなのでしょう。連帯感を生む祭りや輪となって巡る盆踊りには、同じ貴重な時間を皆で共有するという日本人の心性を感じます。

――日本文学に描かれている日本の秋の風情を教えていただけますか。
日本の古典文学を見ても、秋は充実しています。例えば『源氏物語』の秋の庭の描写にも、寂しさの中に華やぎや色っぽさがあり、深い思索と宮廷文化への憧れが見られます。また、秋の須磨の海の情景を借りて、寂しさや葛藤などが仔細に描かれています。

近代では、夏目漱石の『こころ』でも、墓参りをする「先生」と「私」の心情が淡々とした秋の描写の中に印象的に刻まれます。日本の小説はよく空の模様を落とし込んで情緒を描きます。現代では村上春樹の『ノルウェイの森』に薄く透き通るような秋の空の記述がありますが、そこに地上の人物たちの想いの残響が聞こえるようです。

――日本特有の秋の楽しみ方にはどのようなものがありますか。
秋は新米の季節です。主食である米自体が美味しいので余計なものは要らず、ご飯と秋鮭だけでも十分なご馳走になります。友人と旬のものを食べに出かけたり、紅葉や温泉を楽しんだりする一方で、家の中で美味しい焼き魚や松茸の土瓶蒸しをいただき、新酒や新刊書を手に、徐々に長くなる夜を楽しむなどもいいものです。

日本の秋の魅力とは、長年の歳月が編み出した季節の味と香りを「綺麗だね、いい匂いがするね、美味しいね」と、すべての感覚器官を動かして味わえること。時空が感覚に訴えてくるのです。日本の人々も秋は表情や言葉が軽やかでオープンで、フレンドリーな気がします。日本では、秋が私の一番好きな季節です。


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