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Highlighting JAPAN

生まれかわりの旅

山形県の出羽三山では、山岳信仰が代々受け継がれている。

修験道は、日本の古来の山岳信仰が、中国から伝わった仏教(密教)、道教などと習合して平安時代(794-1185)末期から鎌倉時代(1185-1333年)にかけて成立した宗教である。日本の様々な山で修験道の修行が行われてきたが、その中でも最も有名な場所が、山形県の中央に位置し、羽黒山(414m)、月山(1984m)、湯殿山(1504m)という3つの山で構成される出羽三山である。

出羽三山は約1400年前、崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が修行の地として選んだと伝えられている。それ以来、山伏が数多く出羽三山を訪れ、厳しい修行を行った。そうした山伏が全国を訪れ信仰を広めた結果、出羽三山は多くの人々の崇拝を集めるようになった。

「羽黒山は『現在』を、月山は、死後の世界とみなされる『過去』を、湯殿山は『未来』をそれぞれ表しており、三山をお参りすることは、『死と再生』を意味しています」と山形県教育庁の芳賀美幸さんは言う。「人々は、羽黒山では現在の幸せを、月山では死後の幸せ、湯殿山ではもう一度この世に生まれ変われるように祈るのです」

特に江戸時代(1603-1867)には、出羽三山を数多くの参拝者が訪れた。それに伴って、出羽三山の周辺には参拝者が泊まる宿が集まる街が生まれた。特に、羽黒山麓の手向地区では、江戸時代に300を超える宿坊が営まれていた。こうした宿坊で参拝者は、肉や魚を用いない精進料理を食した。出羽三山の宿で供される精進料理は、山伏が山で生きるために創作されたものが基となっている。山菜やキノコなどの食材を使った精進料理を食べることで、参拝者は身を清め、山に向かう準備を整えた。

「手向では今も、地域の人々によって、様々な祭礼行事が催行されています」と芳賀さんは言う。「こうした祭礼を通じ、出羽三山への信仰、山伏の文化が代々、受け継がれています」

羽黒山は、入口から山頂まで、2446段の石段が約2km続き、その両側には樹齢300〜400年の杉並木が立ち並ぶ。頂上へ向かう途中には、10世紀に創建され、1372年に再建されたと伝わる国宝の五重塔が建っている。また、山頂の手前には、かつて山伏が暮らし、「斎館」がある。斎館では、精進料理の食事や宿泊もできる。山頂には出羽三山の神々を祀る羽黒山三神合祭殿が鎮座している。

月山の山頂近くには、極楽浄土を意味する弥陀ヶ原と呼ばれる湿原が広がっており、6〜7月には高山植物が咲き乱れる。そこから、急斜面や険しい岩場を越えて、月山神社が鎮座している月山頂上に到達する。

湯殿山にある湯殿山神社ではご神体として、その頂部からお湯が湧き出る巨岩が祀られている。湯殿山には山伏が修行を積んだ、荒々しい自然が残されており、湯殿山神社の近くにある滝では、冷たい滝の水を浴びる修行が今も行われている。

「出羽三山には、素晴らしい景観が広がっています」と芳賀さんは言う。「その中で、自然と一体となり新しく生まれ変わるという山伏の世界観も体感できます」