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Highlighting JAPAN

瀬戸内海の「海賊」

村上海賊の歴史的な痕跡が今も芸予諸島に残されている。

日本列島を構成する主要な島である本州、四国、九州に挟まれた瀬戸内海には、大小約700の島々が点在している。その瀬戸内海のほぼ中央に位置し、南北にわたって島々が広がっているのが芸予諸島である。島と島との間隔が非常に狭く、水深が浅いので、潮流は非常に早い。

「古くから芸予諸島は海の難所として知られていました」と愛媛県今治市大島の村上水軍博物館の田中謙さんは言う。「瀬戸内海に関する知識を活かし、16世紀に瀬戸内海の東西交通を支配したのが村上海賊です」

14世紀中頃から15世紀、村上海賊は室町幕府などの船を瀬戸内海で護衛する役割を担っていた。その後、村上氏は速い潮流や狭い海峡を航行する知識と技を活用することで瀬戸内海の主要な航路や港を掌握し、芸予諸島に拠地を構えた。

村上氏は航海する船に「パスポート」となる旗を渡したり、船に同乗することで、瀬戸内海の水先案内を行い、その対価として通行料を徴収した。こうしたことで、村上氏は他の海賊や複雑な潮流から船を守ったのである。

「村上海賊は、理不尽に船に乗り込み金品を強奪する、西洋のパイレーツや現代の海賊とは異なっていました」と田中さんは言う。「また、海賊というと荒々しいイメージがありますが、村上氏一族は信仰深く、茶道や連歌と呼ばれる詩をたしなむ文化人でもありました」

村上氏の海賊としての活動は、16世紀末、豊臣秀吉(1537-1598)が海賊停止令を出したころに終息に向かうが、今なお、芸予諸島では村上海賊に関わる文化遺産を見ることができる。

村上水軍博物館には、村上氏ゆかりの武具、甲冑、古文書の他、当時の船の復元模型といった品々が展示されている。また、博物館の直ぐ近くの船着場からは、海峡や、村上氏の居城があった能島などの島々を巡る観光船が発着している。船は、村上海賊が乗りこなしたのと同じ荒々しく渦巻く潮の流れの中を航行する。博物館の目の前では、毎年7月には「水軍レース大会」が開催され、立ったままで操縦する、当時の手こぎ船を再現した12人乗りの船のレースが行われる。

今治市の大三島にある大山祇神社は、村上氏の武将たちが、武運や海上交通の安全を祈願した神社である。境内には巨大な楠が群生しており、神社の素晴らしい宝物館には、名だたる武将が奉納したとされる武具や甲冑が展示されている。

広島県尾道市の因島にある白滝山では、16世紀に村上氏の当主が観音堂を建立したとされ、その後、19世紀に、島出身の宗教家と信者によって造られた約700体の石仏が参道や山頂に立てられた。それぞれの石仏の表情は一つひとつ異なる。白滝山からは瀬戸内海の多島美を堪能できる。

「芸予諸島では、風景や歴史などを五感で楽しむことができます」と田中さんは言う。「村上海賊に関しては、発掘調査を進めれば、さらに新たな発見もあるでしょう。今後、『海賊』という言葉を、忍者や侍と同じように世界に広げたいです」