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Highlighting JAPAN

笑いの日本美術

SNSツールとして欠かせない絵文字や顔文字の原点がここにあるのかもしれない。

日本では古くから、独自の「笑い」が絵画や造形で表現されてきた。そのルーツをたどれば縄文時代(15,000~2,300年前)、日本全国でつくられた土製品の「土偶」にたどり着く。土偶がつくられた目的は、子どものおもちゃ、神像、護符など諸説あり、笑みを浮かべた女性のように見えるものが多い。

2007年に森美術館で開催された展覧会「日本美術が笑う」、2012年にパリ日本文化会館で開催された国際交流基金主催の展覧会「笑いの日本美術史 縄文から19世紀まで」のキュレーターを務めた広瀬麻美さんは、日本美術史における笑いの表現についてこう語る。

「日本には“笑う門には福来たる”ということわざがあり、にこやかに笑っている人の家には、自然に幸福がやって来るといわれてきました。つまり、笑いには邪気を追い払うパワーがあると信じられてきました。そのことを明確に語っているのが、古墳時代につくられた“埴輪”です」

 埴輪とは家や器材、人物や動物などの形につくられた素焼きの土製品で、権力者の墓所である“古墳”に並べ置かれた。埼玉県で出土された高さ1mほどの大きな「埴輪 盾持人」は、外敵からの侵入を守るため、盾を持ち、大きな笑みを浮かべて立っている。笑いが邪気の侵入を防ぎ、外敵から主人を守ると信じられていたからだ。

室町時代から近代にかけて、日本では、中国唐時代の伝説的な僧、寒山(かんざん)と拾得(じっとく)が数々の有名な画家たちによって繰り返し描かれ、いわば人気のキャラクターとなって親しまれた。2人のトレードマークといえるのが、意味深で不気味な笑みだ。実は、彼らは、仏教で信仰される仏の姿のひとつ“普賢”と“文殊”の生まれ変わりとされる。日本人の宗教観の一面を物語るアイコンともいえるかもしれない。

「“笑う神仏”は、日本で生まれた独自の表現だと思います。寒山と拾得のような意味深な笑みとは対照的に、仏教の禅宗の一派である臨済宗の高僧、白隠(1685~1768)は、禅の難解な教えを広く、文字も読めない民衆に仏の教えを伝えるために、“笑い”という手法を使いました」

白隠が残した仏画のひとつ、「蛤蜊観音図(はまぐりかんのんず)」には、カメを頭に乗せた老婆など、エビやタコといった海の生き物たちが擬人化して描かれ、ハマグリから立ち上る観音様を囲んで拝んでいる様子が描かれている。たとえ文字が読めなくても、海の生き物たちの楽しそうな笑顔から、「生きとし生けるものすべてを救う」という、仏教のありがたい教えを白隠は伝えようとした。同じく白隠が描いた「布袋すたすた坊主図」は、七福神の一神である布袋が、最下層の宗教者である乞食坊主となり、腰にしめ縄をまいただけの姿で祈祷しながら歩く姿が描かれている。ニコニコと満面の笑みを浮かべて歩く様子は、限りないやさしさに満ちている。

また、修行の旅の中で人々のために、生涯で12万体ともいわれる膨大な仏像を彫り続けた円空や、やはり各地を巡って仏教の教えを広めた僧侶の木喰は、「笑う仏像」をつくり続けた。これらの仏像には人々に信仰されてなでられ、表面がツヤツヤするほど、なめらかになったものもある。

崇拝の対象となる聖像に笑いの要素を取り込んだのは日本独特の表現といえる。

「そのほか、動物を擬人化し、人間のような振る舞いをさせるのも日本らしい表現です。最近、特に人気のある江戸時代の画家、伊藤若冲の『鼠婚礼図』では、ネズミの結婚披露宴に酔っぱらって遅れてきたネズミが、ユーモアたっぷりに描かれています」

日本人はこうした笑いのもつ効能を古くから体感し、さまざまな形で表現し、そして今日に伝えてきている。