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Highlighting JAPAN

ハッピー・フード

大阪の人々にとって、夜、お好み焼きを食べに出かけることは楽しいイベントだ。

鉄板にジュージューと音を立てて、西倉正修さんが具の入ったクリーム色の濃いタネを注ぎ、2本のテコ(スチール製のヘラ)で厚く丸い生地を作る。

彼は生地をハンバーグのようにひっくり返し、そこへ卵を割って乗せ、あたかもディスクを回転させるDJのようにそれを回す。

「コツは、十分に焼くことです。でも、焼き過ぎてはいけません」と大阪ぼてぢゅうの西倉さんは言いながら、焼き掛けのものの上に、素早く濃い茶色いソースを塗り、その上にマヨネーズを絞り出すようにかける。さらに薄いかつおの削り節をかけると焼きあがったパンケーキの上ではね踊る…、有名な「お好み焼き」だ。

大阪の人々にとってお好み焼きは、インド人にとってのマサラドーサ、フランス人にとってのクレープと同じようなものだ。2014年の政府の調査によると、全国にお好み焼きあるいは類似のたこ焼きを提供するお店は16,551ある。そのうち、2,850(17.2%)が大阪にあり、日本で最も集中している。その数は、東京(1,215)の二倍以上である。

大阪で最も古参のお好み焼き店である大阪ぼてぢゅうの社長宮原寿夫さんによれば、実際にはもっと多いだろうという。

「通りや横町のお好み焼き屋はカウントされておらず、そうした店を含めると大阪だけでも5,000店はあるだろうと言われています」と宮原さんは言う。

「お好み焼きは、人々の心に深くしみ込んだ、とても愛されている大阪の食文化の一部なのです」と宮原さんは言う。

お好み焼きは、日本の料理の中でも比較的新しく付け加わったもので、広く人気を博すようになったのは1950年代のこと、その頃に大阪ぼてぢゅうが店を開いた。

しかし、その起源は400年以上前に京都の茶室で供された具材を混ぜ合わせた料理にさかのぼる。

お好み焼きの前身は、「麩の焼き」として知られる小麦粉を使ったクレープのようなシンプルな料理と考えられている。16世紀の茶道の始祖、現在の大阪府堺市に生まれた千利休によって、抹茶と一緒に頂くお菓子、お茶うけとして考案されたものだと言われている。

宮原さんの息子で、大阪ぼてぢゅうのマネージャーである義男さんによれば、麩の焼きは明治期(1868-1912年)には「文字焼き」(鉄板に小麦粉で文字を書いて焼いた食べ物)になり、その後、子供たちが大好きな甘く焼いた「どんどん焼き」に進化するなど、長い間に様々な発展を遂げてきた。どんどん焼きは駄菓子屋の主人が焼いて新聞紙に包んで売るようになったものだという。

一方、大正期(1912-1926年)には、京都で人気となった「一銭洋食」(水で溶いた小麦粉のタネにネギなどを乗せて焼いた鉄板焼き料理)は、とりわけウスターソースを使ったことにより、現在のお好み焼きにより近いものとなった。

1930年代までには、今日お好み焼きとして知られるようなもの、つまり「お好みで、焼いて食べてください」というちょっと贅沢な食べ物として人気の一品に進化していったのだと義男さんは言う。

「小麦粉と卵のような具材は、病気でもない限り普段は食べられない高価なものでした」と彼は説明する。

お好み焼きの前身のどんどん焼のように、追加料金で、お好みのトッピングを(どんどん)加えることができたのが、名前の由来だと義男さんは説明を加える。

大阪のお好み焼きの主要な具材は、小麦粉、卵、すりおろした長芋、さいの目に切ったキャベツと煮干粉、トッピングは薄切り豚バラ肉、イカ、タコ、鰹節、青のり、そしてお好み焼きソース。ソースは甘くとろみがあって、数十年変わることのない家伝の製法によるウスターソースだ。

「秘密はソースにあります」と宮原寿夫さんは言う。しかし、料理にソースをかけることに慣れていない海外のお客さんはソースをかけないで食べてしまう傾向があると話す。

「お好み焼きのバリエーションは個々の店が独自に生み出しているものです。例えばチーズや餅のような新しい具材は最近加わったものです。しかし、個々の店を特徴づけるものにしてきたのはそれぞれの店のソースであり、それが常連客を集めてきました」と寿夫さんは語る。

大阪ぼてぢゅうは、大阪で初めて、客の前のグリルで材料を混ぜ合わせて焼き上げたお店である。このスタイルは大阪中に広がり、日本の各地域に伝わっていった。中でも、広島は、お好み焼きのもう一つのバージョンとして広く人気を集めている。

14年前、宮原さんは、大阪のお好み焼きをより広く、特に和食ファンの外国人に広めていくために、お好み焼き屋の協会を創設する運動の先頭に立ち、その理事長を務めている。

会の創設を祝う初のイベントとして、地元の寺の境内に特設されたグリルで幅8メートルのお好み焼き作りを開催。5,000人分のお好み焼きが出来上がった。

「大阪人と日本人だけでなく、海外からのお客様に、お好み焼きを『幸せな食べ物』として広めることも、我々の目的の1つです」と寿夫さんは言う。

「我々大阪人は、お好み焼きを食べに夜出掛けることを楽しみとしていますが、我々はその文化を育てていきたいのです」