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Highlighting JAPAN

歌を売り込む〜カラオケ人気の高まり

カラオケの登場は、ハードとソフトにおける技術開発の融合により、一般の人々でも好きな曲に没頭して歌う興奮を体験できるようになった。

カラオケの鍵になる要素は、マイク、歌詞、メロディーとシンプルである。しかし、わずか半世紀でカラオケは日本文化に定着し、世界的に広まるとともにハイテク産業へと変化した。実際、「カラオケ」という言葉は、日本語で「空っぽ」を意味するカラと「オーケストラ」のオケを合わせた言葉であり、英語を始めとして世界中の言語でそのまま使用されている。

カラオケは明らかに成功を収めてきたが、この新しいエンターテインメントは一夜にして登場したわけではない。全国カラオケ事業者協会専務理事の片岡史朗さんによると、カラオケは鍵となるオーディオ技術の発展に伴いエンターテインメントの世界で必然的に進歩を遂げた。

太洋レコードの創業者である山下年春社長が、1970年に販売開始した伴奏テープ(8トラック式*)は、初の「カラオケソフト」と言える。ミュージシャンの井上大佑さんは、1971年にそれらの伴奏テープを取り入れた初のカラオケ機器「8JUKE」を発明した。

井上さんのカラオケ機器はマイクと8トラックのカセットプレーヤーを組み合わせた単純的なもので、カセット10巻で合計40曲を収録していた。井上さんはこれをバーやクラブに貸し出し、店では1曲100円(2018年の物価では約330円相当)で提供され、カラオケ産業が誕生した。片岡さんによると、店は人件費を削減しながら収益を増やす黄金の組み合わせになることが分かると、すぐさまカラオケを取り入れたという。

カラオケはその後も進化したが、歌い手は依然として歌詞が印刷された本を見ながら歌わねばならなかった。1980年代初頭にはTVスクリーンが登場し、画面に映し出される背景画像や歌詞のテロップが流れ、モニター画面をみて歌えるようになった。カラオケ機器がレーザーディスク、CD、DVDなどの新しい記録メディアを利用し始めたこともあり、カラオケの基盤技術も進歩した。

人前で歌うことは、歌を練習するモチベーションにもなり、市場はそのニーズにすぐに応えた。プライベートなカラオケボックスは、1980年代半ばに作られた。最初は輸送コンテナを改造して作られ、騒音問題を避けるために人家から離れた場所に設置された。その後、そのコンセプトが若い世代に受け入れられ、カラオケボックスが都市の中心にも進出した。

カラオケの最も重要な技術的変化の一つは、1990年代初期のオンラインカラオケの登場である。今と比べるとデータ通信速度は遅いものの、カラオケ機器は録音メディアの制約を受けることがなくなり、継続的なアップデートが可能になった。現在は高速ブロードバンドで、日本の最先端の施設では数十万曲の音声と映像をストリーミング配信できる。

片岡さんによると、今後はカラオケ機器の福祉施設などへの導入を進め、高齢者の認知症予防に役立てるなど、今までとは異なる役割を果たせるようになればと考えているという。

* 8トラックは、1960年代半ばから1980年代初頭にアメリカで一般的だった磁気テープの録音技術。