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Highlighting JAPAN

日本の芸術とその可能性


文化は、時代や政治的背景、他の文化との融合など、様々な要因で変化していく。19世紀後半の「ジャポニスム」と呼ばれる芸術運動は、西洋が日本の文化の要素を取り入れてつくり上げたものである。その概要を国立西洋美術館の馬渕明子館長に伺った。

「ジャポニスム」の概要をお聞かせください。

1855年に開催された「パリ万国博覧会」を始めとし、各地で行われた万国博覧会で、日本は工芸品や絹など、輸出を目的に紹介しました。その一部だった浮世絵などの芸術品が西洋の人々の目に止まり、芸術家たちが彼らなりにユニークだと感じたエッセンスを取り入れてつくり出したものが「ジャポニスム」です。例えば当時の日本ではそれほど重視されていなかった浮世絵などから、西洋の人々が今までにない表現方法や新たな世界の見方を感じ、取り入れたことで生まれました。

ルネサンス以来の伝統を守ってきたヨーロッパは、海外のものを取り入れながらも本質的には変わろうとしませんでした。しかし、19世紀に入って工業化が進み、社会が変わって行くに従って、伝統的なものを守っているだけでは立ち行かない、何とか変えなければという意識が広がったところに、日本の芸術品と出会ったのです。1900年の「パリ万国博覧会」では、ジャポニスムが特徴的なアール・ヌーヴォーのデザインを目にした日本人が、日本美術がこのように応用されたことに驚いたと言われています。

当時、葛飾北斎(1760-1849)の浮世絵が多く参照されたことは知られていますが、その他にも影響を及ぼしたものはあったのでしょうか?

屏風、扇面画、絵本、型紙など、実に多くのものがあります。

型紙とは、柿渋を使って重ねた和紙に小刀で紋様を彫ったもので、反物などの柄の染め付けに使われます。非常に繊細で素晴らしいデザインですが、こちらも和装から洋装へと変化する中で、その多くが廃棄されました。例えばウィーンの応用美術館に1万点ほど収蔵されるなど、海外に流れたものも多くあり、壁紙やテキスタイル、工芸品などのデザインサンプルとして利用されたほか、19世紀末の画家であるグスタフ・クリムト(1862-1918)も参考にしたようです。

こうした現象には、経済力と政治力が大きく関係します。これは、ルーヴルやベルリン、メトロポリタンといった美術館の収蔵品は、その多くが経済的に豊かな時代に集められたことからもわかります。このように、文化が力を持つ側へ流れるのはある意味、必然的と言えるでしょう。当時の日本では大事にされなかった芸術品が現存するのは、西洋の人々がこれらに価値を見出し、収集してくれたためです。「よくぞ救ってくれた」「大事にしてくれた」と思います。

芸術が他国に影響を及ぼすことは、他にもあるのでしょうか?

もちろんあります。日本だけで見ても、西洋の絵画の立体感や技法に驚き、取り入れたことで日本の洋画が生まれました。江戸時代には中国の文化や長崎の出島を通じてオランダの文化などが入ったことで、江戸芸術はコスモポリタンなものとなりました。

19世紀と違って国境というハードルが低くなった現在は、人もモノも行き来が激しくなった分、他国の芸術が影響を及ぼすことはさらに増えていくはずです。もちろん、日本の芸術も同じように他国へと渡り、新たな芸術が生まれることもあり得るでしょう。日本の芸術がこれからどう変わっていくのかは未知数ですが、その変化を見守っていきたいと思います。

(脚注)
※ 19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ各国で広まった芸術様式。自然界における植物などをモチーフとし、曲線や曲面を使った装飾性をもつ。