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Highlighting JAPAN

 

 

日本の調味料をあらゆる家庭の食卓に

コトコトと煮込まれた醤油の香りは日本人には非常になじみ深く、日本国外でも広く認識されるようになってきている。大豆を原料とした醤油は、焼きトウモロコシを香ばしく焼きあげたり、野菜や魚、肉料理に深みを加えるなど、日本料理の至るところで使われている。

1億2700万人の食事に不可欠な調味料ということもあり、日本には1200以上もの醤油メーカーがある。その中でトップシェアを誇るのがキッコーマンである。赤いキャップが特徴的な同社の醤油さしは、今日、海を越えた世界中で知られている。

「キッコーマンは1917年に野田醤油株式会社という名で設立されました。千葉県の野田と流山にあった醤油醸造家八軒が合同で創設した会社です。」と、キッコーマン コーポレートコミュニケーション部の伊東宏さんは説明する。

同社は伝統的な本醸造の手法を今も守り続けている。この手法では、蒸し大豆と焙煎小麦、塩、水が、微生物の力により約6ヶ月間かけて醤油へと生まれ変わる。「弊社の標準的な醤油はすべてこの方法で醸造し、すべての樽で、色、味、香りといった品質チェックを行い、品質を均一に保っています。そして、微生物によって作られる醤油には、300種以上の芳香成分が含まれており、この非常に複雑な香りが、ほぼどんな料理にも合う理由でもあります。」と伊東さんは言う。

そんな同社の世界挑戦は第二次大戦後間もなく始まった。ジャーナリストやビジネスマンなど、戦後多くのアメリカ人が日本で醤油を使っていた。そこで、『国外にも醤油の市場があるかもしれない』と考える。当時、日本経済は高度成長にさしかかり事業も拡大していた。ただ、醤油事業の成長は人口次第である。「経済が成長しても、醤油を普段より多く使おうとはなりませんよね。」と伊東さんは言う。成長のため、同社は国際化と多様化の道を選択した。

まず、最初の市場であるアメリカの料理と醤油を組み合わせたお薦めレシピを開発し、スーパーマーケットなどで店頭試食してもらうというデモンストレーションを行った。「今、日本食は海外で非常に人気ですが、私達は当時、醤油と日本食をセットで売り出そうとはしませんでした。アメリカの家庭料理に醤油を使ってもらいたかったのです。」と伊東さんは言う。そして現在、アメリカ家庭のおよそ6割のキッチンに醤油があるという。

1957年、サンフランシスコ市内に営業所を開設したのを皮切りに、1973年にはウィスコンシンに最初の海外生産工場が完成。そして1970年代にヨーロッパに、1980年代にはアジアへと事業を拡大した。今日、日本国外では7つの工場で同社の醤油が醸造されている。いずれの地域においても、現地の従業員を中心に生産を行う『経営の現地化』により、コストを抑えるだけでなく、地域密着の醤油づくりを展開している。

「弊社の醤油をグローバル・スタンダードの調味料にするという想いは変わりません。世界中のどの家庭、どのレストランにも普通にある調味料にしたいと思っています」と伊東さんは言う。

最初に海外で成功を勝ち取った先見的で柔軟な思考があれば、世界中の家庭を煮立つ醤油の香りで満たすという夢も、本醸造醤油と同じくらい明るく透明なものだと言えよう。