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Highlighting JAPAN

 

 

鉄道の歴史、昔と今

日本初の鉄道が開業した明治以来、日本の鉄道技術は大きな進化を遂げた。国土に鉄道網が広がり、新幹線が通勤電車並みの運転間隔で走り、技術やノウハウも海外輸出するまでに発展した鉄道の歴史を振り返る。

鉄道技術が日本に持ち込まれたのは、1853年である。長崎に来航した船の上でロシアの蒸気機関車の鉄道模型を見せられた日本人は、その高い技術力に驚いた。その後1872年(明治5年)に東京の新橋~横浜間(29km)を走る日本初の鉄道が開業し、その姿は浮世絵にも描かれる文明開化のシンボルであった。1889年には新橋~神戸までの東海道本線が全線開通し、東海道を江戸から京まで、平均11泊12日かかった行程が1日に短縮された。現在では、東京から京都まで新幹線で2時間30分弱であり、今や日本の新幹線技術やノウハウは海外輸出するまでになっている。

「日本の鉄道技術が明治期に急速に発達したのは、国際環境の影響が大きい」と、東京大学社会科学研究所中村尚史教授は語る。日本の鉄道の敷設構想が具体的な動きを始めた1869年は、米国の大陸横断鉄道やスエズ運河の開通など、世界の交通革命が起きた年でもあった。同時期に大西洋横断通信ケーブル敷設も進み、世界の交通・情報革命によって加速する市場や情報のグローバル化の波に乗り遅れてはならないとの危機感から、日本は鉄道建設に踏み切ったのである。グローバル市場で国際競争が激化すると鉄道資材の入手も安価になり、日本の資材購入を後押しした。世界中の業者が日本市場に参入し、当時最先端であったイギリスや米国、ドイツ製の多種多様な優れた機械、機関車がもたらされた結果、日本の技術者たちはそこから洗練された技術習得を進め、明治末の国産機関車の開発と発展へと結び付いたのである。

鉄道技術の国産化に大きな役割を果たした人物は鉄道技師の島安次郎である。島はドイツ留学で技術を学んだ後、1906年に鉄道国有化を経た日本の官営鉄道の工作部門のトップとなり、日本独自の狭軌線路に適応したコンパクトな国産機関車の開発に尽力した。折しも第1次世界大戦によって世界市場は寸断され、国産鉄道技術は輸入品の脅威にさらされることなく発達する条件にも恵まれた。

戦後、東京オリンピック・パラリンピックが開催された1964年(昭和39年)には東海道新幹線が開業し、東京~新大阪間が4時間で(当時)結ばれることとなった。日本の狭軌線路は国力拡大に伴う輸送力増強のボトルネックであったが、戦後に国鉄総裁に就任した十河信二が標準軌(広軌)での新幹線の敷設を実現し、大量の高速輸送が可能となった。

強力な鉄道網が実現し、今や新幹線でさえ3分間隔で時速約300キロ運転を行う日本の鉄道事情だが、時間に正確で安全性の高い類いまれな運行技術の発達は「日本の人口密度の高さ、輸送頻度の高さに起因する」と中村教授は説明する。山が多い日本では平地に人口が密集し、輸送密度が国際的に見ても例外的に高い。輸送量を上げるために列車の車両を伸ばし、運行本数を増やす中で、日本の鉄道は正確性を増していった。

「日本の動脈である新幹線ネットワークは現在、輸送量の限界に達しており、ルートを増やすのが重要」と中村教授は指摘する。その一つとして最高速度時速500キロの「リニア中央新幹線」も建設が進行中であり、日本の鉄道は今後もますますの技術的発展を見せていくだろう。