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Highlighting JAPAN

信仰の山としての富士山

富士山は標高3776メートル、2013年に世界文化遺産に登録された日本の最高峰であり日本のシンボルである。古くから文学や芸術に描かれたばかりではなく、人々の信仰を集めてきた特別な山である。

日本一の高さを誇る富士山は、南側の裾野がなだらかに駿河湾海岸線まで達する雄大な独立峰である。富士山の可視範囲面積は約2800平方キロメートルに上り、遠方からも、またどの方角から眺めても美しい円錐形の姿は、日本最古の和歌集『万葉集』にも多数詠まれ、また葛飾北斎の「富嶽三十六景」のモチーフとされてきた。それだけではなく、富士山は特別な山として、古来、庶民の信仰の対象となってきた。

富士山信仰の主なものに「浅間信仰(せんげんしんこう)」がある。これは富士山そのものを神格化し崇拝するもので、富士山を「浅間大神(あさまおおかみ)」として祀る神社が富士山麓を中心に建立されていった。

富士山の麓、静岡県富士宮市の富士山本宮浅間大社は、日本全国に分布する浅間(「あさま」もしくは「せんげん」)神社、約1300社の総本宮とされる。そこで神職を務める服部雄太さんは「当浅間大社の起源は古く、富士山の噴火を鎮めるために、紀元前27年に建立されたと言われています。その頃富士山は活発に噴火を繰り返していました。雨や雪が溶岩に染み入って湧き出す清らかで豊かな水など、自然の恵みを与えてくれる大切な山でありながら、激しく噴火する恐ろしい山でもあった富士山を、人々は神が宿る山と畏れ敬うようになったのでしょう」と話す。

現在の本宮の地に本殿が建てられたのは700年のこととされるが、原初は、麓の至る所で富士山を拝む「遥拝」の祭祀が行われていた様子が、富士宮市に出土する遺跡に見られる。

8世紀頃の日本では、山を神とする日本古来の山岳信仰に、大陸から伝来した仏教が融合して「修験道」という独自の信仰形態が生まれた。これは、山中で厳しい修行を行い、山の霊的な力を借りて悟りを開こうとするもので、日本全国に霊場とされる山がある。11世紀頃に、噴火活動が沈静化した富士山も、修験道の霊場となっていった。修験者の修業のために山頂に堂が建てられ、15世紀には一般の民衆も修験者に引率されて参詣のために登山をする「登拝」が行われるようになった。これが後に集団で登拝する「富士講」として各地に組織され、江戸時代の庶民の間で大変な隆盛を見せた。多くの場合、富士講の登拝に参加できるのは村の代表者だったため、富士山に行けない人々は、地元の小山や人工で築いた「富士塚」を富士山に見立てた。富士塚は、富士山を見ることができない遠方の地にも築かれたほどで、日本全国で富士山が特別な存在としてあがめられていたことが分かる。

今でも富士登山をすると、白装束で金剛杖をつき、古の修験者に倣って「六根清浄」と唱えながら登拝する富士講の人々に出会うことがある。「六根」とは視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚と意識のことで、これを清らかにする「清浄」を続けて唱えることで、山の霊力で身も心も清めることを意味する。

「現在の富士山は、300年以上噴火していませんが、活火山であることに変わりはありません。あの規模の火山に完全に鎮まってもらうのは難しいかもしれませんが、本宮と山頂の奥宮では、浅間大神を日々お祀りし続けています」と服部さんは言う。

富士山本宮浅間大社の最も重要な行事「新嘗祭」では、富士宮市内で収穫した野菜や米を供える。また、11月の例大祭では、市民も参加し、市内20区から山車が出て境内で競り合う壮大な祭りが行われる。これらは皆、富士山の神を楽しませ、怒りを鎮め、また感謝を伝えるために奉納されるものである。

富士山をモチーフに絶景写真を撮ったり、ご来光を拝むため登山したり、車のナンバープレートに「3776」を選んだり、富士山を巡る現代人の楽しみは様々であるが、その中にも垣間見える富士山への崇敬は、今日に至るまで日本人の心に生き続けている。