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Highlighting JAPAN

 

スポーツで世界の平和を


為末大さんは、2001年のエドモントン世界陸上選手権の400メートルハードル走で銅メダルを獲得した。これはオリンピック、世界選手権を通じて、日本人初の短距離走でのメダルであった。2005年のヘルシンキ世界陸上選手権でも銅メダルを獲得し、オリンピックにも2000年のシドニーから3回連続出場した。2012年の引退後、スポーツに関連したビジネスや社会貢献などの活動に取り組む為末さんに、陸上競技、選手のセカンドキャリア、オリンピック・パラリンピックについて伺った。

なぜ、陸上競技を始めたのでしょうか。

8歳の時に、姉の影響を受けて陸上クラブに入り、走り始めました。記録がどんどんと伸び、周りの人も非常に褒めてくれたのが嬉しくて本格的に始めたのがきっかけです。また、子ども心にも、陸上を続ければ、自分の世界が広がっていくのではというのは感じていました。陸上競技は、自分の実力がはっきりとした数字となって表れます。過去の記録ともすぐ比較でき、自己ベストだけではなく、日本記録や世界記録といった明確な目標を超えるために自分は何をすべきかを考えることも好きでした。

高校生の時に、100メートル走から400メートルハードル走へと転向しますが、その理由を教えてください。

100メートル走で記録が伸び悩んでいた時に、先生から勧められたのがきっかけですが、自分の力が発揮できればどの種目でも良かったのです。ハードル走は非常に精緻な技術を必要とする種目です。ハードルの前でぴったりと歩数を合わせなければ上手くハードルを越えることができません。しかし、当時、記録を伸ばすための技術や法則がはっきりと定まっていませんでした。自分は比較的器用だったので、この種目なら世界で勝負できるのではと感じました。

また、自分を社会の中で表現する手段としてハードル走を選んだ側面もあります。生まれ持った身体能力の差が結果に出やすく、競技人口も多い100メートル走よりも、ハードル走のほうが、より大きな社会的インパクトを与えられる可能性があると考え、ハードルに転向しました。

3回のオリンピック出場は、為末さんにとってどのような経験でしたでしょうか。

3回も国を代表して出場するということは、本当に貴重な経験でした。自身の勝ち負けと国の評価が直結する、という特殊な環境下で過ごすことは、自分自身を理解する上で、非常に貴重な機会だったと思います。また、選手村で過ごす時間も独特の経験でした。国籍は一切関係なく、競技者というアイデンティティだけがそこにはありました。また同じ種目の選手同士では、特に経験してきた様々な困難を理解することができ、さらに深い共感を双方で覚えることがありました。少し大げさではありますが、こうした共感が、紛争の原因となる国と国との分断を防ぐことにつながっていくのではとも思いました。

2010年に卓球や自転車など5名の選手で「アスリートソサエティ」を設立した理由をお聞かせください。

輝かしい成績を残した一部の選手を除き、多くの選手にとって、引退後、どのようにセカンドキャリアを築いていくかは深刻な問題です。自らが引退した選手の新たなロールモデルになれればと考え、4名の仲間と「アスリートソサエティ」を設立しました。アスリートソサエティには多競技を横断して様々な選手が参加し、スポーツを通じた社会貢献を行っています。私は特に「スポーツ外交」に興味があったので、スポーツで日本とアジアの国々とをつなぐ「スポーツ・アジア」を立ち上げました。2015年にブータン王国オリンピック委員会のスポーツ親善大使に就任して以来、ブータンや日本で、選手やコーチを指導しています。また、2019年2月には、ブータン、ネパール、ラオスなどアジア各国の陸上選手が日本で約2週間共同生活をしながら、トレーニングするというプロジェクトも実施しています。国籍を越えて、彼らが親交を深めていく姿を見るのは、本当に嬉しかったです。

2020年に東京で開催されるオリンピック・パラリンピックへの期待をお聞かせください。

日本は今、超高齢社会を迎えています。身体に何らかの痛みや障害を抱えている人も少なくありません。他の多くの国々も、やがて日本と同じような道をたどると予想されます。オリンピック・パラリンピックを通じて、日本が超高齢社会にどのように対処しているか示すことができれば、世界にとって非常に意義深い大会になるのではと考えています。

また、様々な国へ行って私が感じるのは、日本は非常にオープンな国であり、他の国の人が入って来やすい国であるということです。そうした日本の特性を活かし、将来的には、日本に常設の選手村のような施設が整備されればと願っています。様々な国の人がスポーツを通じて交流する場があることは、スポーツ業界の発展だけではなく、世界の平和にも貢献するのではと思っています。