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Highlighting JAPAN

コウノトリ育むお米

兵庫県豊岡市で、姿を消したコウノトリの復活を進めるために始められた環境に優しい米作り。粘りと甘みが強く味も良いお米が、日本各地や海外で楽しまれている。

コウノトリはシベリア南東部で繁殖し冬に南下する渡り鳥で、かつては冬に日本各地で見ることができた。まれに日本の越冬地にそのまま居着く群れがあり、兵庫県北部の豊岡市を含む但馬地域はその代表的な生息地だった。しかし、20世紀に入り日本のコウノトリの生息環境が悪化し、1971年に、国内最後の生息地であった但馬地域で野生のコウノトリは絶滅に至った。

その後、コウノトリの野生復帰を目指し豊岡市は、兵庫県の姉妹都市である旧ソ連のハバロフスク州から県に贈られたコウノトリを飼育し、1989年に初めて繁殖に成功した。2005年からは放鳥を始め、2019年現在、野外個体数が150羽を超えるまでになった。

困難とされたコウノトリの野生復帰が実現した大きな理由は、但馬地域の稲作農家のたゆまぬ協力があったことである。コウノトリが絶滅した原因は、乱獲や、営巣木である松の大量伐採などに加え、餌場となる水田の環境が大きく変化したことであった。かつて日本では、常に土壌が湿った状態の湿田が多かったが、第二次大戦後、農業機械の導入がしやすく、収穫量も上がる乾田が主流となった。しかし、乾田は稲作の時期以外は地面が乾燥しているため、コウノトリの餌となるカエルや小魚などの水生生物が生息できない。さらに、稲作の時期でも農薬や化学肥料の使用が増えたことで、水生生物がほとんど姿を消してしまったのである。

コウノトリが生息できる環境を整えるために、2003年から豊岡市で農家の有志5名が「コウノトリ育む農法」をスタートさせた。この農法は、水生生物が生息しやすい環境づくりのために、農薬を使わない、あるいは極力減らすこと、稲作の終わった冬の水田にも水を張ることなどが特徴である。

JAたじまの「コウノトリ育むお米生産部会」部会長を務める大原博幸さんは「ほとんどの農家は乾田での稲作の経験しかありませんでした。コウノトリが生息できるような水田の環境を整え、なおかつ米の味も良いものにするのは、まさに1からの挑戦でした」と語る。

しかし、「コウノトリ育む農法」を続けることで水生生物が水田に増え、コウノトリの生育環境が復活していった。JAたじまはこうして育てた米を「コウノトリ育むお米」と命名し、販売を開始した。現在、この米の栽培は、市内約300名の農家が取り組み、年間1500トン以上が生産されるまでになった。

「コウノトリ育むお米」は粘りと甘みが強く味も良いことから、日本全国の消費者に購入されているだけではなく、海外へも輸出されている。JAたじまは、消費者を招いて水田の見学や稲刈り体験などのイベントを開催し、消費者と生産者との交流も深めている。

「もともと但馬地域は、郷土料理に『ばら寿司』という、魚や野菜などの具とご飯を混ぜた寿司もあり、米の消費は多い地域です。『コウノトリ育むお米』はどうしても水管理や除草に手間がかかるのでやや高価になってしまいますが、特別な米にしたくない。地元の人たちが日常的に食べる米であってほしいのです」と大原さんは言う。こうした生産者の願いを受け、豊岡市は市内の小学校の給食に「コウノトリ育むお米」を使っている。

コウノトリ育む農法を続けたことで、但馬地域には生物多様性に富んだ生態系が戻ってきた。但馬地域では、一般的な栽培方法を行う農家も環境に配慮した栽培に取り組むようになった。さらに、名産の「但馬牛」の畜産農家とも連携し、「コウノトリ育むお米」を収穫した後の稲わらを畜産農家へ提供、稲作農家は牛から採れるたい肥をもらい受けるなど、但馬地域全体の農業における循環も生まれつつある。

コウノトリを育む米づくりを中心に、生産者と消費者が手を携え、豊かな食文化を次世代へとつなぐ取組がこれからも続いていく。