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February 2020

心で魅せる日本舞踊

日本の伝統的な舞台芸術である日本舞踊は、まさに「日本の踊り」そのものである。

西川佳さんは、父である箕乃助さんの横に立ち、巧みな扇子さばきを交えながら、すり足、しなやかな首の振り、優美な手の動きを真似る。

箕乃助さんは、三味線と鼓の音色、そして、ゆったりとうねるような音楽に合わせて踊る娘の動きを何度も細かく確認し、励ましの言葉を掛ける。

2歳9か月から日本舞踊を始めて9ヶ月後、「気がついた時には、初舞台に立っていました」と佳さんは言う。しかし、これをきっかけに、「踊ることが楽しくなりました」と話す。

こうした若い年齢から習い始めることは伝統芸能の世界では一般的であると箕乃助さんは説明する。彼もまた幼い頃から、東京で西川流を受け継ぐ、父親の西川扇藏さんに踊りを教わってきた。300年以上前に生まれた西川流は、日本舞踊5大流派の中で、最古の流派であり、西川流からはこれまでに数多くの優れた舞踊家が育った。現宗家扇藏さんは、1999年に人間国宝として認定されるなど数々の栄誉を受けている。

「私たちは皆、子供の頃から習い始めます。それは、理論ではなく感覚から学ぶということです」と57年にも及ぶ日本舞踊の経歴を有する箕乃助さんは言う。「日本の伝統的な舞台芸術では、恐らく皆同じでしょう。師匠が弟子の側について教えることで、踊り手は自然に技術を身に付けるのです」

日本舞踊の歴史は約400年前に始まったが、そのルーツは更に古い舞台芸術にまで遡る。

日本舞踊協会(JCDA)のウェブサイトによると、日本舞踊は「日本の踊り」であるとし、何世紀にもわたり、舞楽や能といった舞台芸術の特性や技法などの要素、また多くの民俗芸能のエッセンスが組み込まれてきたという。 様々な要素が組み合わさった日本舞踊はやがて、代表的な日本の舞台芸術として大成された。

中でも最も影響を受けたのは歌舞伎の舞踊で、日本舞踊の美しい着物、頭飾り、装飾品に、それが表れていると箕乃助さんは言う。

「歌舞伎は、普通の人では演じることのできない芸能でした」とユネスコ無形文化遺産である歌舞伎について説明する。「しかし、歌舞伎を見た人が自分でもその踊りをしてみたくなり、それが徐々に独自のものへと変わっていったのです」

日本舞踊の人気は明治時代に広まり、様々な流派や舞踊団の活動が盛んになった。

第二次世界大戦後、西洋のものが一般的に好まれるようになると、海外から入ってきたバレエや社交ダンスなどが広まったこともあり、日本舞踊の人気は陰りを見せたが、現在でもJCDAには120流派が加盟し、全国に26支部、5,000人の舞踊家が所属している。

実際に日本舞踊をたしなむ人は女性を中心に、数万人にもなるのではと箕乃助さんは考えている。

箕乃助さん自身、10代の頃は芸術にあまり関心を持っていなかったが、後にロンドンの名門「ラバン・センター」(現在の「トリニティ・ラバン・コンサヴァトワール・オブ・ミュージック・アンド・ダンス」)でモダンダンスを学ぶうちに、日本で習っていた踊りの良さが分かり始めたと言う。

それ以降、彼は日本舞踊の普及に尽力し、国内外で観客の喝采を集めてきた。

また、箕乃助さんは、2020 年の東京でのオリンピックの期間中、国立劇場で外国人観光客向けに踊りを披露するJCDAの活動を担っている。

箕乃助さんは、欧米の多くの技巧的なダンスとは異なる、日本舞踊の繊細な、内面からにじみ出るような魅力を、外国人に観てもらいたいと話す。

その内に秘めた魅力は、日本人の控えめな性格を映し出していると箕乃助さんは言う。

「100パーセントでバーンと表に出す文化ではなく、内面からじわっと出てくるようなものです。日本舞踊を鑑賞する際、外国人の方には、そういう部分を感じて頂きたいです」

箕乃助さんの次女の尚さん(14歳)も日本舞踊の舞踊家である。姉妹は、日本舞踊を多くの人に広めたいと考えている。「日本舞踊のことを知らない人がたくさんいるので、少しでも多くの人に知って観にきて頂きたいです。海外から来られる方々にも興味を持っていただけるようにしたいです」と佳さんは言う。