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March 2020

文化・芸術を支える石州半紙

1300年以上の歴史を持つ島根県の和紙「石州半紙」が、国内外の文化や芸術を支えている。

島根県西部の浜田市を中心とした石見地方で1300年以上にわたって作り続けられている「石州半紙」は、2009年にユネスコ無形文化遺産に登録された。その後2014年に、美濃紙(岐阜県)、細川紙(埼玉県)と共に「和紙:日本の手漉和紙技術」として、再度登録されている。

石州半紙は、繊維が細く長い地元産の楮(こうぞ)に、トロロアオイの根から取る粘液を加える伝統製法で漉(す)かれている。石州半紙の特徴は、他の産地の和紙づくりでは取り除かれる楮の皮と芯の間の「あま皮」と呼ばれる部分をあえて使っている点にある。そのため、仕上がった和紙は、独特の光沢と、薄い緑色を帯びた風合いがあり、しかも強度がある。そうしたことから、江戸時代に、書道の半紙や商売の帳簿、傘、玩具などに使われる実用的な紙として日本全国に普及した。

しかし、明治時代には6,000軒以上あった生産者も、機械製和紙の普及や需要の低下などの原因で減少し、現在は市内の三隅町に4軒を残すのみとなった。その4軒の生産者が会員となっている「石州半紙技術者会」の会長を務める西田和紙工房の7代目、西田誠吉さんは「会員の4軒ともに後継者に恵まれ、次代までは続けられそうです」と話す。

近年、楮を栽培する農家や専門の問屋が減っているため、原料の栽培から収穫、加工、販売まで、全てのプロセスを工房が担わなければならなくなっている。「和紙づくりを支えてきた従来の分業の仕組みは変わってきています。しかし今も、この地域に古くから伝わる石見神楽では、舞手の面や衣装、舞台装置にたくさんの石州半紙が使われます。そうした神楽団体が今も100以上あり、私たちはその需要に支えられています。伝統芸能と伝統工芸の理想的な地産地消の形です」と西田さんは言う。

この他、西田さんの工房で作られる製品の6割以上が文化財の修復に用いられている。絵画や書物の破損した部分に、和紙を貼り付けるなどの方法で補強するのである。正倉院、京都本願寺、名古屋城など名だたる歴史的文化財の建具の補修に石州和紙が使われている。最近では欧米の美術作品や貴重な文献の修復にも和紙が用いられるようになり、大英博物館やボストン美術館など、日本美術のコレクションを持つ世界各地の美術館からの発注も多い。

「こうした世界の要望に積極的に応えたい」という西田さんは、技術者会の会員と内外の紙の見本市に積極的に参加するとともに、2008年に地元に建てられた「和紙会館」を拠点として石州半紙の普及に努めている。石州半紙の生産者は、1970年代から海外交流を始めており、これまでブータン王国から研修生を受け入れるなど、海外の手漉き紙製造技術の向上に協力している。和紙会館で、住民や観光客向けに行われる和紙づくり体験では、会員が順番でインストラクターを務めている。

これらの活動の他にも、西田さんは様々なアーティストとコラボレーションを行い、一輪挿し、コースター、クッション、照明など、幅広い製品を生み出している。

「先人が地元産の原料を使い、伝統的な製法を続けたからこそ石州半紙は残りました。私はこの基本を大切にしながら、オリジナル商品の開発など、新しいことに挑戦しています。アーティストとのコラボレーションでは、思いもよらない和紙の表情を発見し、驚くことも多いです」と、西田さんは今、改めて石州半紙の魅力と可能性を再発見している。