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  • 佐藤洋一郎・京都府立大学文学部特別専任教授

November 2020

米が育んだ日本の歴史と文化

佐藤洋一郎・京都府立大学文学部特別専任教授


米は日本の歴史の中で、食物としてだけではなく、様々な役割を担ってきた。京都府立大学文学部特別専任教授で、和食文化学会会長を務める佐藤洋一郎さんに日本の米の歴史と文化について話を伺った。

日本で稲作が始まったのは、いつ頃からと考えられているのでしょうか。

約1万前に中国の長江流域で始まったと推定される稲作は、中国大陸から、もしくは朝鮮半島を経由して日本に伝わりましたが、それがいつ頃なのかははっきり分かりません。稲作には主に畑での栽培と、水田での栽培がありますが、現在の日本でも一般的な水田稲作は、約3,000年前(紀元前10世紀)に九州北部に最初に伝わったと考えられています。水田稲作は、それから約300年後(紀元前7世紀)には近畿地方まで広がり、約600年後(紀元前4世紀)には本州の北端まで伝わりました。この時代、雑穀やソバなどの穀物も畑で細々と栽培されていましたが、水田稲作の生産性が高かったので、稲作が広がったと考えられます。そうして日本は、イノシシや鹿などの動物、魚介類、木の実などを採って生活する狩猟社会から、定住して共同で米を作り生活する農耕社会へと徐々に変化していったのです。

その後、米はどのように広がっていったかを教えてください。

4世紀から6世紀の日本が国として形作られていく時代、近畿地方では巨大な古墳が数多く造られました。古墳造営は国家的な大規模土木事業だったと言えます。古墳造営には膨大な労働力と食料が必要となります。そのため、当時の権力者は多くの労働力を集めて土地を開墾して水田を広げました。その多数の作業者のエネルギーを賄ったのが米でした。

8世紀初頭からは、国が土地を人々に割りつけ、その土地で取れる米を税として徴収しました。やがて土地が不足し始めると、国は自分で開墾した土地の私有を認め、開墾者のモチベーションを上げようとしたのです。この言わば土地開発の「民営化」によって、力のある貴族や地方の豪族が水田を広げていきました。戦国時代には、米は戦を支える軍事物資でした。こうして、米を多く生産できる土地を持つことが、経済的、軍事的、政治的な力を持つことと同じになりました。それは、その後も基本的に変わらず、江戸時代(1603~1867)にまで至ります。

江戸時代、米はどのような役割を担ったのでしょうか。

江戸時代、徳川幕府は米を経済の中心とする体制を築きました。幕府は各地を治める藩を米の収穫量によって格付けしました。一番大きな大名である加賀藩が「加賀百万石」と呼ばれたことが端的にそれを表しています。米の収穫量が即、大名のランクだったのです。各藩は、徴収した米を江戸(現在の東京)や大坂(現在の大阪)に集め、それを現金化して必要な物資を購入しました。正しく、米が経済の基盤でした。一方、この頃、大量の米が流通した江戸や大坂などの都市住民の間では、米が主食となりましたが、農村部の多くの農民は年貢として米を納めなければならなかったので、経済力のある人以外は米を十分に食べることができなかったようです。お腹いっぱい白い米を食べることへの憧れは、日本が第二次世界大戦後に経済成長を遂げるまで、残りました。最近はあまりないかもしれませんが、子供が茶碗に少しでも米粒を食べ残すと「もったいない」と親に叱られたものです。

米に関連する日本文化にはどんなものがあるでしょうか。

米は飯であるだけでなく、餅や菓子、味噌や酢など多様な調味料の原料でもあります。

秋には全国各地で米の収穫を祝う祭りが開催されます。春の田植えの時も、豊作を祈る歌や踊りがあります。神社では、収穫された新米を始め、米を原料とする餅や日本酒が神に捧げられます。また、年中行事でも必ず、米に関連した食物や飲物が供されます。例えば、正月には、各家庭で、餅の入った「雑煮」を食べ、正月料理であるおせちを食べながら日本酒を酌み交わします。2013年に「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録されましたが、こうしたみんなで寿ぐ年中行事と和食との密接な関わりも登録理由の一つとなっています。

また、和食の基本スタイルは、米、汁と三種類のおかずを合わせた「一汁三菜」です。明治時代以降、日本では西洋料理が広がり、おかずの食材として肉が加わりましたが、「米とおかずとみそ汁などの汁物」を食べるというスタイルは、今も大きく変化はありません。寿司、カレーライス、牛丼など日本人が好きな食物も、米と一緒に食べるものです。

これまで日本が育んできた米文化は、今後どのような意味を持つとお考えでしょうか。

日本のように、米が経済、社会、文化など幅広い面に大きな影響を与えた国は、世界でも珍しいと思います。米が日本人にとって大切な食料であることに今も変わりありませんから、今後も米に関わる文化的な伝統は継承していくべきです。また、現代では農業機械の導入によって省力化が進んでいますが、かつて農村部では、稲作は村の多くの人が協力して行われました。それが、互いに助け合う共同体意識を育みました。また、日本が稲作に適した国であると言われますが、私はそうは思いません。米の出来不出来は自然環境にすぐに左右されるので、人々は自然を畏れ、敬い、自然と共生して生きていこうという意識を持ち、その心が日本人の生活スタイルの根底にあると私は考えています。皆で助け合い、その地域で育つものを食べ、周りの環境を大切にしながら暮らすという、今で言う持続可能な社会が既に昔の日本では実現されていたと思います。持続可能な開発目標(SDGs)の達成が世界で目指される中、こうした生活スタイルは、これからの日本、そして世界的にも参考になるのではないかと思います。