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  • 寝殿造様式の嚴島神社
  • 弥山山頂からの眺めた瀬戸内海の島々
  • 朱塗りの大鳥居
  • 弥山
  • ミヤジマトンボ(成熟雄)

November 2021

自然と文化の調和した神の島

寝殿造様式の嚴島神社

瀬戸内海の広島湾に浮かぶる厳島(いつくしま)は、宮島(みやじま)とも呼ばれ、嚴島神社を中心とする歴史と文化、背後の弥山(みせん)を中心とする自然が調和した島である。

朱塗りの大鳥居

広島県廿日市市(はつかいちし)の通称「宮島(みやじま)」として知られる厳島(以下、宮島)は、瀬戸内海の広島湾の北西に位置し、宮城県の松島、京都府の天橋立と並ぶ、日本三景の一つとして広く知られている。宮島の周囲は、約30キロメートル、面積は30.2平方キロメートルの楕円形の島で、2021年10月時点で1400人余りの人々が暮らしている。本州から宮島への主な移動手段はフェリーで、その航路は約1.8キロメートル、乗船時間は10分ほどだ。宮島は、1952年に島全体が瀬戸内海国立公園の一部として指定され、1996年には、「嚴島神社」と背後の「弥山原始林」を含む全島の14パーセントが世界遺産に登録された。

「宮島は古くから、島そのものが神として信仰されていた特別な場所で、13世紀の始め頃までは住める土地がありませんでした。海辺に建ち、浮かんでいるように見えて神秘的な嚴島神社は、時の権力者を始め、多くの人々が信仰していた神社です」と宮島観光協会事務局広報企画課課長の齋藤直樹さんは話す。

弥山

嚴島神社は、593年に神社周辺を治めていた豪族の佐伯鞍織(さえきの くらもと)によって社殿が建てられたと伝えられる。現在の印象的な朱塗の大鳥居*と海に突き出した社殿は、武家政権を打ち立てた平清盛(1118-1181年)によって、1168年に修造されたと伝えられている。平清盛は、この改修に、10世紀に登場したと言われる貴族の住宅の建築様式である「寝殿造」を取り入れた。それは寝殿を中心に配置された建物を廊下で結び、大きな池を寝殿の前に設ける様式である。このほか、平清盛は舞楽や管絃といった京の貴族の文化を宮島に伝え、それらを神事に取り入れた。

弥山山頂からの眺めた瀬戸内海の島々

その後、神職、僧侶のほかに職工人や、商人たちが移り住んだが、神聖な信仰の島であり続け、農耕文化が発達しなかった。そのため、宮島には現在まで手つかずの自然、原始林が残されている。宮島前面の神社や海とは対象的な、背後に広がる森林区域160ヘクタール(島全域の約5.3パーセント)の弥山原始林である。弥山は、嚴島神社と同様に世界遺産に登録されている山で、ロープウェイで山の上の駅まで約20分でたどり着く。島内には、シカ、サルなどが生息する。また、一部の海浜には、固有の亜種のミヤジマトンボが生息する湿原もある。この湿原は2011年にはラムサール条約に登録され、ミヤジマトンボの保護活動が行われている。

ミヤジマトンボ(成熟雄)

「新型コロナウイルス感染症の影響が出る以前、広島市の平和記念公園を見学した後に高速船で島に来られる外国人観光客の皆さんは、島の静けさや自然、平和を感じ、宮島が別世界のようだ、と話されます。さらに、弥山山頂から360度見渡せる瀬戸内海の多島美の風景や頂上に広がる巨石群に驚かれます」

嚴島神社で歴史を感じ、山に登り、シーカヤックなどに乗って海を巡ったり、海辺の夕日の輝きを眺めたりと、宮島の、そして瀬戸内海の自然を満喫する。長い間、多くの人々に愛され大切にされてきた宮島は、時代を超越する魅力にあふれている。

* 2021年9月28日時点、厳島神社の大鳥居は大規模な保存修理工事中。終了時期は未定であり、あと1、2年はかかる見込みである。