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June 2022

1200年の日本料理の伝統を受け継ぐ

  • 四條司家庖丁儀式で魚をさばく四條隆彦さん
  • 四條司家庖丁儀式を行う四條隆彦さん
  • 四條家で代々受け継がれてきた書物には、まな板の上で食材をどのように配置するかが描かれている。
  • 「式三献」(しきさんこん)の初献(しょこん)。梅干し(左下)、クラゲ(右下)、あわびのし。
  • 二献。フナの膾(なます)と酢。
  • 三献。鯉の刺身、塩、酢。
四條司家庖丁儀式で魚をさばく四條隆彦さん

宮中由来の日本料理の伝統を、公家の家系の四條家(しじょうけ)は、約1200年にわたり今に伝えている。

四條司家庖丁儀式を行う四條隆彦さん

伝統的な日本料理の起源を語る上で、「日本料理の祖」ともされる二人の重要人物がいるという。一人は、1世紀半ばに即位したとされる第12代、景行(けいこう)天皇のために、海に入ってカツオと蛤(はまぐり)を獲り、膾(なます:現在の刺身の元となる料理(魚を細かく刻んだもの))を作ったとされる磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)である。もう一人が「四條中納言」と称された藤原山蔭卿(ふじわらのやまかげきょう、以降、山陰卿)である。山陰卿は、9世紀後半に即位した第58代、光孝(こうこう)天皇*に仕えた貴族だ。料理に対する造詣が深かった光孝天皇に命じられ、山陰卿は、試行錯誤しながら、宮中で供される料理の調理法、料理に関する作法や儀式の基本を考案したと伝わる。

「王朝文化が栄えた平安時代(8世紀後半〜12世紀後半)には、宮中において数多くの儀式が執り行われるようになりました。その中には、料理が供される儀式もありました。そこには『神様と供食する』という意味合いが込められていたのです。こうした、宮中や公家社会で生まれた料理が、現在の伝統的な日本料理の源流の一つとなったのです」と四條隆彦さんは話す。

四條さんは、山陰卿を祖先とする四條家の四十一代目の当主だ。四條家は代々、約1200年の長きに渡って、宮中や公家社会の料理の伝統を受け継いできた。

その一つが、平安時代に生まれた料理作法「式三献」(しきさんこん)である。式三献はもともと、公家が宴席を開く時の行われる作法で、酒の肴(さかな)となる食事を、酒を勧めながら、初献(しょこん)、二献、三献と3回に分けて客人に振る舞うものである。出された食事は食べるまねをするだけで、実際には食べることはない。四條家には、初献に梅干し、イカを乾燥させた「するめ」(もしくは、クラゲ)、あわびを乾燥させた「あわびのし」、二献にフナの膾、三献に鯉の刺身を供することが伝えられている。現在、日本の伝統的な神式の結婚式では、夫婦が3つの盃で、それぞれ3回お酒の飲む動作をする「三々九度」の儀式が行われるが、式三献がその原型である。

「式三献」(しきさんこん)の初献(しょこん)。梅干し(左下)、クラゲ(右下)、あわびのし。
二献。フナの膾(なます)と酢。
三献。鯉の刺身、塩、酢。

山陰卿から、その一門・四條家が受け継いできた伝統に「四條司家庖丁儀式」**がある。人が生きるために料理をすることは他の命あるものを殺生しなければならないということに心を痛めた光孝天皇が、生類供養のために、山陰卿に命じて整えさせた儀式だ。庖丁儀式の食材には、鶴(つる)、雁(かり)、雉(きじ)の三鳥、それに鯉(こい)、鯛(たい)などの魚が使われる。***

現在でも、主に神社などで四條さんは、この儀式を披露する。1996年には、当時の天皇皇后両陛下の前でも披露申し上げたという。儀式では、宮中での正式な装束・衣冠束帯に身を包んで威儀を正し、庖丁刀と真魚箸(まなばし:魚や鳥を料理する時に使う柄付きの長い箸)で魚や鳥を、さばいていく。この時、決して素手で素材に触れてはならない。四條さんは「これは、言わば神事の儀式です。鳥や魚を人に食べていただくためにさばくのではなく、神様にお供えするために、祈りながら包丁を動かしていきます。その祈りとは、生きとし生ける全ての命の繁栄、そして人類の長久といったことになります。そうして祈りながらさばいた鳥や魚を、例えば、平和が続くという意味の『長久』という字の形に整えて、お供えをします。また、当時、は疫病が多かったので、素材に一切手を触れないということも、衛生面でとても大切なことでした。それを山陰卿が意識して儀式に入れたのだと考えられます」と話す。

四條家で代々受け継がれてきた書物には、まな板の上で食材をどのように配置するかが描かれている。

儀式で使われる道具の使い方、切った食材をまな板の上に、どのように配置するかといったことも、四條家では、代々受け継いできた。

日本料理の祖を先祖に持ち、日本の食文化の研究・伝承に携わる四條さんだが、近年、伝統的な日本料理にあまり関心のない日本人、特に若者が増えていると感じている。そうしたことから、「四條司家食文化協会」を設立し、様々な式典で庖丁儀式を披露したり、学校や料理教室で、日本料理の歴史や伝統を教えたりといった活動に力を入れている。

四條さんは、伝統と形式だけを重んじるべきだとは考えていない。日本料理自体が常に新しいスタイルを取り入れ変化してきたからだ。しかし、その中でも「守らなければならないことがある」と言う。1200年の伝統を次の世代へと伝えるために、食に関わり続けてゆく覚悟でいる。

* 在位884~887年。「徒然草」によれば、即位後も自炊されていたと伝わる。
** 日本料理の伝統を受け継ぐ宗家であることをもって四條家は「四條司家」とも呼称する。
*** 生きたままの魚は使用しない。