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August 2022

トーマス・エジソンの白熱電球と日本の竹

  • 石清水八幡宮境内のエジソン記念碑
  • トーマス・エジソン(1847-1931年)
  • 竹をフィラメントに使った電球のレプリカ
  • 一般社団法人日本電気協会の常務理事務める及川芳樹さん。手にするのは竹を使った白熱電球。
トーマス・エジソン(1847-1931年)

日本の京都府のタケの一種が、アメリカの発明家、トーマス・エジソン(1847~1931年)が手掛けた白熱電球*の商用化に重要な役割を果たした。

竹をフィラメントに使った電球のレプリカ

京都府南部の八幡市(やわたし)には、整備された美しい竹林が広がっている地域がある。その竹林は、859年に創建された石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の周辺一帯にある。ここには高品質のマダケが自生しており、それは「八幡竹」と呼ばれている。

この八幡竹が、19世紀末、白熱電球の実用化と世界的普及に特に重要な役割を果たしたことは、あまり知られていない。アメリカの発明家、トーマス・エジソンが白熱電球の最初の実用化を果たしているが、当初、彼はその白熱電球のカギとなる光を放出するフィラメントとして最適な素材を見つけ出すことに苦労していた。そして、最後にたどり着いたのが八幡竹だったという。

「当時、多くの研究者が白熱電球の開発に取り組んでいましたが、エジソンは1879年に木綿糸を炭化させたフィラメントで40時間の連続点灯に成功しました。これによってエジソンは大きな名声を得ますが、彼はそれに満足することなく、より優れたフィラメントを作るため、その後も6000種類もの炭化させた素材で実験を重ねたといいます」と、一般社団法人日本電気協会の常務理事を務める及川芳樹さんは語る。

一般社団法人日本電気協会の常務理事務める及川芳樹さん。手にするのは竹を使った白熱電球。

エジソンは研究を続ける中、たまたま研究室にあった扇子の骨に使われていた竹で実験をしてみると非常に良い結果が得られたため、フィラメントに適した竹を求めて世界各地に調査員を派遣することになった。そして1880年、調査員の一人が探し当てたのが石清水八幡宮の周辺に自生する八幡竹だったのだ。

八幡竹は耐久性と柔軟性に富み、繊維が太くて丈夫、しかも引き締まっている。さらに、簡単に焼き切れることがない。エジソンは八幡竹をフィラメントとして使用し、連続点灯時間を1200時間にすることができた。その上、節と節の間隔がちょうど良い長さで、まさにエジソンが追い求めた最適のフィラメントであった。

こうして日本から輸出された八幡竹を用いて1881年頃から製造された白熱電球は大ヒット商品になり、1894年に新たなフィラメント素材が見つかるまでの間、世界中の人々の生活を明るく照らし続けることになった。

「日本においても、我々、電気の仕事に携わる者にとって、エジソンはすさまじい努力で白熱電球や、電力供給システムを発明するなど、最も偉大な人物と言っても過言ではありません。そんなエジソンの偉業を称え、彼の情熱を青少年や後世に伝えるため、1956年にエジソン彰徳会(しょうとくかい)が設立されたのです」と及川さんは語る。及川さんはその会の常務理事でもある。

石清水八幡宮境内のエジソン記念碑

白熱電球の実用化に貢献した八幡竹の林の中心にある石清水八幡宮の隣接地に最初のエジソン記念碑が建立されたのは1934年のことで、その後、1958年に境内南側(現在地)に移転された。そして、1984年には、エジソン彰徳会の手によって、記念碑は新しく建て直された。ちなみに、この記念碑建立が縁となり、八幡市はエジソンの生地、オハイオ州マイラン村と友好都市提携し、交流が続いている。

エジソン彰徳会では、記念碑の維持・管理のほか、エジソンの命日である毎年10月18日の前後に碑前祭(ひぜんさい)を執り行っている。その日は、日米両国の国旗が掲揚され、在大阪・神戸米国総領事を始めとする米国の関係者も招かれ、献花が行われ、エジソンの偉業を偲んでいる。また、5年に一度は同様に命日前後に大祭が催され、エジソンの業績を紹介する冊子を地元小学生に配布するといった記念事業も実施している。

日本の竹を使った、実用化では世界初の白熱電球が生まれてから140年余り、発明王エジソンを偲ぶ日米両国の交流は、今もそのゆかりの地で途絶えることなく続いている。

エジソン彰徳会の主催による2021年の碑前祭

* ガラス球内の発光部分(フィラメント)に電流を通じて白熱させ、その光を利用する電球。