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November 2022

薩摩切子の復元と発展

  • 薩摩切子を特徴づける「ぼかし」(色のグラデーション)のクローズアップ(お猪口)
  • 薩摩切子を円盤でカットする様子
  • 薩摩切子のデカンタとグラス
  • 水墨画のようなグラデーションが美しい黒色のテーブルウェア
  • 新デザインの「二色衣(にしきえ)」シリーズのグラス
薩摩切子のデカンタとグラス

薩摩切子(さつまきりこ)は、薩摩藩(現在の鹿児島県)で製造されていた深い色彩のグラデーションと、複雑なカットを特徴とするガラス製品(切子)である。およそ110年間、その製造は途絶えたが、1980年代に再現され、再び注目を集めている。

薩摩切子を特徴づける「ぼかし」(色のグラデーション)のクローズアップ(お猪口)

薩摩切子は、その色彩の美しさと複雑なカットから生まれるきらめきで人々を魅了する。その魅力は、「ぼかし」と呼ばれる色のグラデーションによって大きく特徴づけられる。それは、薩摩切子独自の意匠で、透明なガラスに厚い色ガラスを被せる「色被せ(いろきせ)ガラス」に文様を刻み込んで作られる。その装飾的な文様はガラスに斜めに切り込みを入れて作り出すが、ガラスに厚みがあるため、切り込みを入れる深さや角度によって、微妙な色の濃淡を表現することができる。この色の濃淡「ぼかし」こそが、薩摩切子の温かくも繊細な外観を生み出しているのである。

薩摩切子は、薩摩藩で19世紀後半に初めて製造されたが、わずか20年あまりの短い期間であった。その後、約110年間製造が途絶えていたが、1980年代に復活した。

「薩摩切子は、1851年、薩摩藩の指導の下、海外市場向けの美術工芸品を目指して製造されたのが始まりです。透明なガラスの上に更に色ガラスを厚く重ねたり、複雑な文様を刻むには、お金と時間がかかる。個人ではなかなかできるものではありません。薩摩切子は、薩摩藩が奨励して作ったからこそできた高級工芸品なのです」と、薩摩切子の製造元である株式会社島津興業・販売課課長の有馬仁史(ありま ひとし)さんは話す。

水墨画のようなグラデーションが美しい黒色のテーブルウェア

しかし、切子製造を奨励した藩主が亡くなると、製造は縮小され、さらには幕末や明治初期の戦乱などで工場が消失すると、製造が完全に途絶えてしまった。

1982年、ガラスの歴史を研究している有識者が、自ら再現した薩摩切子を鹿児島の百貨店で展示した。それがきっかけとなり、薩摩切子を復元しようという気運が高まり、1985年に島津興業がその復元事業の舵を取ることになった。

新デザインの「二色衣(にしきえ)」シリーズのグラス

わずかな資料や昔の写真を参考に、薩摩切子の特徴であるぼかしを表現するために、理想の色やカットの角度を懸命に探したという。試行錯誤を繰り返した結果、薩摩切子を再現することができ、薩摩切子は再び広く知られるようになった。さらに、忠実に再現したものだけでなく、新しいタイプの薩摩切子が製造されている。その一つが、透明なガラスに異なる二色のガラスを被せた「二色衣(にしきえ)」シリーズだ。例えば、夕焼けから宵闇へと移り変わる鹿児島の空の色を表した、深紅から群青に変化するグラスや、鹿児島の自然の美しさを表現した色味の薩摩切子がある。

「私たちは薩摩切子を単なる伝統工芸品というだけでなく、そのDNAを次世代へつなぐ工芸品にしたいと思っています。薩摩切子の技術や特徴はブレないけれど、新しい考えを取り入れることを臆(おく)さない。進化し続ける工芸品にしていきます」と有馬さんは言う。

薩摩切子を円盤でカットする様子

新しいことにチャレンジしようとする進取の気風は薩摩*の人々が誇る精神だ。これからも、薩摩切子がどんな進化を遂げていくのか楽しみでならない。

* 現在の鹿児島県の古称で、現在でも、一般に鹿児島県をこのように呼ぶ場合がある。