VOL.210 DECEMBER 2025
SCHOOLS IN JAPAN [世界に伝えたい日本の伝統文化]世界を駆け抜ける―神聖なる流鏑馬やぶさめの技

騎乗前に矢を入れる箱を装着する様子。
写真提供: OKUBO Hirofumi

マイケル・ノさんは、850年以上、31代にわたって小笠原家に継承されてきた礼法・弓術(歩射ほしゃ)・弓馬術(騎射きしゃ)を体系化した流派である小笠原流1門人もんじん2です。オーストラリア出身で栃木県日光市在住のマイケルさんは2013年から流鏑馬やぶさめ3の技を学び、日本各地で流鏑馬の射手いてとして活動しています。日本に伝わる武芸である流鏑馬の魅力についてお話を伺いました。

日本の騎射は、実用と儀礼の双方の目的を持って発展してきたもので、長い歴史があります。騎射の一つである流鏑馬の最古の記録は平安時代(8世紀末から12世紀末まで)に遡り、当時は貴族のための宮中儀礼として行われていました。鎌倉時代(12世紀末から14世紀前半まで)に入ると、武士の鍛錬としての性格を強め、武家文化の象徴の一つになりました。

海外ではまだあまり知られていませんが、流鏑馬は日本の数ある美しい伝統芸能の中でも特に神聖な騎射の儀式であり、通常は神社の境内で行われます。射手は約250mの馬場を全速力で駆け抜けながら、三つの的を次々と射抜いていきます。


日本の伝統美が息づく、流鏑馬の厳かで華やかな行列
写真提供: Joffrey Maubert

馬と射手が一体となって疾走する際に響く地鳴りのような轟音、射手の「インヨー(陰陽)4」という掛け声、そして矢が的を貫く鋭い破裂音が馬場に響き渡る様は、まさに圧巻です。祭儀を彩るのは、甲冑かっちゅう5装束しょうぞくに身を包んだ諸役、数百年の歴史を持つ華麗なくらをまとった馬、そして歴史ある神社の荘厳な佇まいです。特に名高い神社での神事には、数万人の観客が集い、祈りと美、そして技の融合を目にします。

流鏑馬は、神への奉納と祈りの儀式です。国家安泰や五穀豊穣ごこくほうじょう6無病むびょう息災そくさい7を願って矢を放つのです。小笠原流は日本各地の神社で流鏑馬の奉納を行っており、各神社の伝統に合わせて細部に違いが見られるものの、その根底にある精神は共通しています。一見すると競技のようにも見えますが、流鏑馬には勝敗や順位はなく、三つの的を全て射抜くことが目標とされます。全射手による的の命中数の合計が儀式の成就を意味し、命中数が多いほど吉兆とされるのです。しかし、全ての射手にとって、命中のその先にある究極の目標は、身体・精神・馬の調和を極めることにあります。それは、「精神統一」や「人馬一体」と呼ばれる、極度に集中した境地です。


的を狙う前に響く射手の掛け声も、流鏑馬の醍醐味の一つ。
写真提供: MORIZAKI Kiyomitsu

流鏑馬には、代々の当主が地方の大名8に仕えた流派もあれば、小笠原流のように将軍に仕えた流派もありました。その後、鉄砲の伝来とともに一時衰退しましたが、江戸幕府の8代将軍・徳川 吉宗(1684年生、1751年没)が騎射の技術低下を憂い、復興を命じたことで再び盛んになりました。その際、鎌倉時代の形式が伝承されるとともに、新たに「騎射きしゃ挟物はさみもの9」と呼ばれる実践的な形も生まれ、いずれも今日まで受け継がれています。

現在、歴史的な流鏑馬の系譜を持つ流派は小笠原流と武田流10の二つのみとなっています。両流派は共に古代に起源を持ちながらも、装束・弓具・的・射法にそれぞれ特色があります。また、現代では新たに「スポーツ流鏑馬」と呼ばれる競技的な騎射も誕生しています。


神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮での流鏑馬の様子。疾走する馬に乗りながら的を射る姿は圧巻。
写真提供: TAKARADA Kouhei

流鏑馬で最初の三人の射手が用いる弓矢。
写真提供: MORIYAMA Masatomo

私が流鏑馬に関わるようになったきっかけは、子ども時代にありました。私は家族が営む道場で育ち、韓国からオーストラリアに移住した柔道とテコンドーの名師範である父は、礼節と鍛錬を厳しく教えてくれました。また、母方の祖父は「ホースィー・グランパ(馬好きなおじいちゃん)」と呼ばれるほどの馬術の名手でした。幼い頃から好奇心旺盛で活発な性格だった私は、10代後半にはアーチェリーを始め、今思えばそうした環境が流鏑馬への道を開いてくれたのだと思います。

初めて流鏑馬を見たのはインターネットで、馬が疾走し、射手が巨大な非対称の弓を引き絞る姿、その荘厳な神社の風景に心の奥底が震えました。「これだ」と直感したのです。少年時代に抱いた「野生の馬を馴らし、鞍をつけない裸馬はだかうまで疾走しながら矢を放つ」という夢が、より洗練され、より深い日本の伝統の中で再び目覚めた瞬間でした。

2012年に来日後、すぐに弓道を始めました。弓道にも魅了されましたが、私の真の憧れは流鏑馬―特に小笠原流の流鏑馬でした。その長い系譜と奥深い教え、美しい所作に強く惹かれたのです。しばらくは門を叩く勇気が出ませんでしたが、幸運にも一人の門人と知り合い、それからほどなくして日光に移住して日々の稽古に打ち込むようになりました。修行を始めたばかりの頃は挑戦と興奮の連続であり、10年以上経った今でも、流鏑馬は常に新しい発見と学びを与えてくれます。流鏑馬とは、技術だけでなく、心と身体、そして馬との絆を深める道でもあるのです。始めた当初は思いもしませんでしたが、流鏑馬は私に生きる目的を与え、日本文化と馬の世界を深く結びつけてくれました。

日本を訪れる機会があれば、ぜひ一度、流鏑馬の奉納を直接ご覧いただきたいと思います。その光景がもたらす感動は計り知れず、きっと想像を超える体験となることでしょう。

マイケル・ノ
オーストラリアのメルボルン出身。流鏑馬に関心を抱き、2012年に来日した。小笠原流の門人となって10年以上にわたり稽古に励みながら、神事などの流鏑馬の射手として活躍。栃木県日光市で文化体験のインストラクターや馬の調教師として活動している。
写真提供: 豊永 和明
検索:マイケル・ノ

  • 1. 小笠原流の初代・小笠原 長清ながきよは、鎌倉幕府を開いた武将である源 頼朝(1147年生、1199年没)の弓馬術礼法の師範であり、その後小笠原家は将軍家の師範として礼法・弓術(歩射)・弓馬術(騎射)を継承してきた。礼法は無駄を省いた洗練した動きである武家の礼法、弓術(歩射)は地上で弓を引くこと、弓馬術(騎射)は馬上で弓を引くことを指す。
  • 2. 門下生のこと。
  • 3. 疾走する馬上から的を射る、騎射の一種である神事。平安後期から鎌倉時代にかけて武士の間で盛んに行われ、現在は神社の祭事である神事として残る。
  • 4. 射手が発する「インヨー(陰陽)」という掛け声は、宇宙や神と呼応し合うために発せられると考えられている。陰陽とは、万物が陰と陽という相反する二つの気のバランスによって成り立っているという考え方で、武士の間でもこの思想が取り入れられていた。
  • 5. 戦いのとき身を守るために着用する武具。
  • 6. 穀物が豊かに実ること。
  • 7. 病気をせず健康であること。
  • 8. 多くの所領を持つ有力な武士。
  • 9. 騎射の一種で、簡素化された軽装の装束で行う。
  • 10. 12世紀末以来の歴史を持つ最古の流鏑馬の流派の一つ。暴れ馬を乗りこなすことを身上とするなど、武士が鍛錬を重ねた実戦的な技術・気風を今に伝えている。(参照:流鏑馬―日本の古式弓馬術の800年の伝統を今に― | December 2023 | Highlighting Japan

By Michael No
Photo: OKUBO Hirofumi; Joffrey Maubert; MORIZAKI Kiyomitsu; TAKARADA Kouhei; MORIYAMA Masatomo; TOYONAGA Kazuaki

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