VOL.212 FEBRUARY 2026
CYCLING JAPAN
[世界に伝えたい日本の伝統文化]流鏑馬―弓と人馬が未来に紡ぐ、文化の架け橋

Photo: 小笠原流
マイケル・ノさんは、小笠原家に継承されてきた礼法・弓術(歩射)・弓馬術(騎射)を体系化した流派である小笠原流1の門人2です。本シリーズ最終回となる今回は、流鏑馬3の技術や、その奥に息づく精神の継承、さらに現代における意義についてお話を伺いました。
31代にわたる宗家4と、数え切れないほど多くの門人たちによって、850年以上もの長きにわたり技術と知識が継承され、今日まで小笠原流の流鏑馬は続いてきました。小笠原流では、現在は31代小笠原 清忠氏が宗家として全責任を一身に負い、宗家の嫡男である次期宗家の清基氏が流鏑馬の神事や流派における多くの役割を統括しています。そして、現在9歳の嫡孫である清眞氏は、すでに礼法・弓術・弓馬術の稽古を数年にわたり重ね、将来流派を継ぐための武家の心構えを育んでいます。
宗家や次期宗家の深い見識、卓越した指導力、絶え間ない研鑽、そして常に静かで揺るぎない姿勢に触れ、私は心から尊敬の念を抱いています。この内面に宿る精神、すなわち「武士の哲学」こそが、未来へ受け継ぐべき最も尊いものの一つであると感じています。
流鏑馬が日本文化として極めて大きな価値を持つことは言うまでもありません。一方で、現代社会において馬上から弓を射ることにどのような意義があるのか、疑問を抱かれる方もいらっしゃるかもしれません。しかし小笠原流で育まれてきた礼法は、自らの行動に心を配り、他者を思いやる姿勢や人との関わり方を教えてくれます。そうした精神こそ、時代を超えて受け継がれるべき、普遍的な価値を備えていると言えるのではないでしょうか。
また、全速力で馬を走らせながら弓を引き、複数の的へ向かう瞬間、心の迷いは一切許されません。過去や未来にとらわれることなく、「今この瞬間」に集中し、馬と一体になる必要があります。激しい動きの中にありながら、内面では静けさを保つよう努めます。この姿は人生の理想的な歩み方にも通じると感じています。目的を持ち、調和を大切にしながら、どのような状況にあっても心を乱さず進んでいく―それは誰にとっても価値ある生き方の指針ではないかと私は考えます。

写真提供: MORIYAMA Masatomo
流鏑馬の神事において、儀式の場である神社の存在はもちろんのこと、この伝統を守り続けるためには専門の技術を持つ職人の力も欠かせません。鹿革の手袋、漆塗りの竹弓、儀式用の矢や鏃など、流鏑馬で使用する特別な品々は素材や技術の希少性から完成までに数年を要する場合もあります。日本の鞍作りの技術に至ってはすでに失われており、私たちが使用している鞍は江戸時代(17世紀初頭から19世紀後半半ば)に作られたもので、騎乗のたびに点検や手入れをして大切に扱っています。数百年を経てもなお機能を保ち、美しさを湛えていることは奇跡と言ってもよいでしょう。私が大切に使用している鞍の一つは、1664年に作られたもので、実に360年以上もの歴史を持っています。松の木を意匠とした精緻な金蒔絵5が施されており、唯一無二の逸品です。このような品々は、今後ますます貴重になっていくのではないかと思います。
そしてもちろん、流鏑馬において馬の存在を忘れることはできません。この美しく賢い生き物は私たち射手の身体だけでなく、伝統そのものも背負って走っているのだと思うと、身の引き締まる思いがします。人類の歴史を形作り、自然の中で神聖な存在とされてきた尊い存在です。

写真提供: MORIYAMA Masatomo
神事の前夜に門人たちが集まり、流鏑馬の準備を進めながら、先輩の話に耳を傾けて共に杯を交わす時間は、私自身にまだどれほど学ぶべきことがあるかを気づかせてくれます。馬に乗る役目を退いた後もあらゆる形で伝統を支え続ける人々もいて、流鏑馬の伝統を後世に伝えるために果たすべき役割は射手以外にも多くあるのだと実感しています。それぞれが与え合い、受け取り合い、知識を深め、心を磨くことで、他者に尽くし、伝統を次の世代へとつないでいます。
これまで流鏑馬と共に歩んできた道のりは、私の人生を大いに豊かにしてくれました。忘れがたい経験は数多くありますが、2015年に神奈川県の鶴岡八幡宮で初陣6を迎えたこと、2018年に日露文化交流事業としてロシアのモスクワで流鏑馬を披露したこと、そして2019年に京都府の下鴨神社で行われた令和最初の流鏑馬で初めて先陣の壱の射手を務めたことは、特に印象深く心に残っています。下鴨神社の流鏑馬は、最初の三騎が公家の華やかな平安装束7をまとって射儀を行うという、非常に特別で美しい形式で執り行われました。

写真提供: MORIYAMA Masatomo

写真提供: KAWASE Tatsuhiko
こうした経験を重ねる中で、私は流鏑馬が、世界の人々にとって日本の伝統文化の奥深さに触れ、そこから心に響く何かを見出すきっかけになる「文化の架け橋」にもなり得ると感じるようになりました。近年では、多くの海外のメディアやインフルエンサーが流鏑馬に関心を寄せるようになってきました。また、たくさんの外国人観光客が、流鏑馬を見学するだけでなく実際に挑戦するために日本を訪れ、栃木県日光市の馬事センターでも体験プログラムに参加しています。
この美しい技芸を継承し続けることは、日本のかけがえのない伝統文化を守ることにつながります。流鏑馬は次世代の日本人も誇りを抱く文化であり、また、世界の人々は馬と射手の駆け抜ける姿、そして的を射抜く鋭い音に心を動かされることでしょう。その感動が響き渡る未来に向かって、この伝統が続いていくことを願っています。

マイケル・ノ
オーストラリアのメルボルン出身。流鏑馬に関心を抱き、2012年に来日した。小笠原流の門人となって10年以上にわたり稽古に励みながら、神事などの流鏑馬の射手として活躍。栃木県日光市で文化体験のインストラクターや馬の調教師として活動している。
写真提供: 豊永 和明![]()
- 1. 小笠原流の初代・小笠原 長清は、鎌倉幕府を開いた武将である源 頼朝(1147年生、1199年没)の弓馬術礼法の師範であり、その後小笠原家は将軍家の師範として礼法・弓術(歩射)・弓馬術(騎射)を継承してきた。礼法は無駄を省いた洗練した動きである武家の礼法、弓術(歩射)は地上で弓を引くこと、弓馬術(騎射)は馬上で弓を引くことを指す。
- 2. 門下生のこと。
- 3. 疾走する馬上から的を射る、騎射の一種である神事。平安後期から鎌倉時代にかけて武士の間で盛んに行われ、現在は神社の祭事である神事として残る。
- 4. 一般的には、一族や一門の中心となる家柄を指す。小笠原流においては、小笠原家の当主のこと。
- 5. 日本独自の漆工芸の一つ。漆で文様を描き、金粉を蒔きつけて付着させる。
- 6. 初めて戦場に出ること。転じて、初めて試合や競技に出場すること。ここではマイケルさんが初めて流鏑馬に参加したことを指す。
- 7. 平安時代(8世紀末から12世紀末まで)に確立された宮中での正装。
By Michael No
Photo: TOYONAGA Kazuaki; Ogasawara-ryu; MORIYAMA Masatomo; KAWASE Tatsuhiko

