VOL.211 JANUARY 2026
JAPAN AND UME
[世界に伝えたい日本の伝統文化]流鏑馬の礼法─射手の視点から見る稽古と奉射

流鏑馬の稽古に励むマイケルさん
写真提供: MORIYAMA Masatomo
マイケル・ノさんは、850年以上、31代にわたって小笠原家に継承されてきた礼法・弓術(歩射)・弓馬術(騎射)を体系化した流派である小笠原流1の門人2です。流鏑馬3の上達を目指す上で、日々の鍛錬を欠かすことはできず、稽古は一年を通して続きます。稽古の際に大切にしていることについてお話を伺いました。
流鏑馬の稽古は、小笠原流の教えに基づく稽古、補助的な身体づくり、そして馬の育成の三つに大別されると私は考えています。
小笠原流の基本となる稽古内容には、流鏑馬に必要な脚力と安定性を養う静的姿勢の鍛錬である「騎射体操」と、特有の騎乗姿勢と射法をゆっくりと丁寧に繰り返す「木馬稽古」があります。入門してから数年間、私はほぼ毎日稽古に励んでいました。仕事終わりには騎射体操と木馬稽古を行い、更に馬のお世話を手伝うために毎日のように厩舎に通いました。週に数回、出勤前の早朝などに馬に乗っていました。

写真提供: MORIYAMA Masatomo
流鏑馬が最も多く行われる春と秋が近づくと、稽古の強度は自然と高まります。年々、私の稽古への向き合い方にも変化が生まれてきました。騎馬は身体に大きな負担がかかります。健康維持やけがの予防のために、ウォーキングやストレッチ、バランス運動、自重トレーニング、そして近年では鍼治療も取り入れるようになりました。自分の身体と心の声を聞きながら、今のベストを尽くすだけでなく、将来に渡って長く流鏑馬を続けられるよう心身共に整えることを心がけています。
私の所属する小笠原流弓馬術日光支教場の特徴の一つは、栃木県日光市にある日光馬事センターでいつでも馬に乗れるという、全国的にも稀少な環境が整っていることです。同センターでは日光東照宮4の御神馬5も預かっており、乗馬用や流鏑馬専用の馬場、弓道場などを兼ね備えています。他の地域の門人が遠方から稽古のために訪れ、ここで調整された馬たちは各地の流鏑馬の神事にも奉仕しています。日常的に馬と向き合える環境は私にとって大きな恩恵があり、多くの時間を共に過ごすことで、馬への深い愛情が育まれてきました。

写真提供: MORIYAMA Masatomo
実際に駆けながら矢を射る走射稽古は週に一、二度ほどで、そのほかの大半の時間は馬の育成のための騎乗にあてています。馬場での基礎運動をはじめ、スピードを出さない状態での流鏑馬専用の練習、森の中の散策、馬同士で過ごす時間などを通して、馬の心身のバランスを整えます。流鏑馬を行う馬の育成というと、駆けながら矢を射る姿が想起されがちですが、それは一部に過ぎません。実際の神事や祭礼では、群衆の喧騒や慣れない環境、旗、太鼓や花火の音など、馬の負担になる要素が数多く存在します。これらに落ち着いて対処できるよう様々な訓練を行うことで、馬と射手、そして参列者全員の安全と調和を保つことができます。馬の心と身体への理解が深まるほど、「馬の心身の健全さを損なわない洗練された走射」を目標とするようになりました。馬の長い競技寿命を守ることは、常に私の最優先事項であり、強い責任と情熱を持って取り組んでいます。

写真提供: WAKANA Nobuya
日本人は世界的に見ても礼儀正しいことで知られていますが、小笠原流の礼法はその中でも群を抜いた体系を持ちます。その礼法は、細やかで思いやりに満ち、何よりも優雅です。武家の礼法を受け継ぎつつ、現代社会にも適応できるよう進化し続けているのです。
私は射手としての稽古が中心であり、礼法を専門とする門人ではありません。しかし、礼法は小笠原流の根幹であるため、全ての門人は立ち方、座り方、歩き方、礼の仕方、部屋の出入りなどの基本動作を一通り学ぶ必要があります。一見すると簡単に思える動作も、正しく意識して行うと驚くほど精神的・肉体的に負荷がかかります。それは、私たちが普段これほど正しく、意図的に身体を使うことに慣れていないからです。

写真提供: MORIYAMA Masatomo
騎射を専門とする門人は、流鏑馬特有の礼法も学びます。鞍や弓具の扱い、馬の上での所作、正しい騎乗や下馬の仕方などがその一例です。中でも、身分の高い人の前を通る際に鐙6から片足を外して敬意を示す片鐙は重要で、最初に流鏑馬を行った時、片鐙の作法を知らずに宗家7や諸先輩の前を通ってしまい、厳しく叱られたことを今でも鮮明に覚えています。また、流派で習う礼法のほかに、奉射を行う神社ごとに異なる作法を覚える必要があります。例えば、茨城県笠間市にある笠間稲荷神社では、最初の射手が玉串8を奉納します。日光東照宮では、最初の射手が走射前に特別な祈りの言葉である祝詞9を読み上げる決まりがあります。

写真提供: MORIYAMA Masatomo
流鏑馬は弓術と弓馬術に加え、人と馬への深い敬意を基盤とした礼法を併せ持つ、総合的な武道です。流鏑馬という美しい技芸を通じて、今後も心身の鍛錬を重ね、より良い門人として、また一人の人間として成長し、馬と一体となれるよう精進していきたいと思っています。

マイケル・ノ
オーストラリアのメルボルン出身。流鏑馬に関心を抱き、2012年に来日した。小笠原流の門人となって10年以上にわたり稽古に励みながら、神事などの流鏑馬の射手として活躍。栃木県日光市で文化体験のインストラクターや馬の調教師として活動している。
写真提供: 豊永 和明![]()
- 1. 小笠原流の初代・小笠原 長清は、鎌倉幕府を開いた武将である源 頼朝(1147年生、1199年没)の弓馬術礼法の師範であり、その後小笠原家は将軍家の師範として礼法・弓術(歩射)・弓馬術(騎射)を継承してきた。礼法は無駄を省いた洗練した動きである武家の礼法、弓術(歩射)は地上で弓を引くこと、弓馬術(騎射)は馬上で弓を引くことを指す。
- 2. 門下生のこと。
- 3. 疾走する馬上から的を射る、騎射の一種である神事。平安後期から鎌倉時代にかけて武士の間で盛んに行われ、現在は神社の祭事である神事として残る。
- 4. 栃木県日光市の神社。江戸幕府の初代将軍である徳川 家康(1543年生、1616年没)を祀っている。
- 5. 神の乗用として神社に奉納された馬を指す。
- 6. 馬具の一種。鞍の両脇につるして、乗る時に足を踏みかけ、乗馬中には乗り手の足を支える役割がある。
- 7. 一般的には、一族や一門の中心となる家柄を指す。小笠原流では、小笠原家31代小笠原 清忠氏のこと。
- 8. サカキなど常緑樹の小枝に紙を切って作った飾りをつけたもので、神前に捧げる。
- 9. 神前で唱える、神への祈りの言葉。
By Michael No
Photo: TOYONAGA Kazuaki; MORIYAMA Masatomo; WAKANA Nobuya

