VOL.213 MARCH 2026
EXPLORING JAPANESE POTTERY
沖縄の風土が生んだ宝「やちむん」

沖縄では魔除けとして家に飾られる「シーサー(獅子)」の置物
沖縄の言葉でやきものを表す「やちむん」。ぽってりと厚みのある形状と、素朴な美しさのある器や壺が特徴で、土産物としても人気を集めている。沖縄のやきもの文化の源流となった「壺屋焼」に焦点を当て、その歩みと魅力を紹介する。

壺屋焼は、沖縄の自然と歴史、そして人々の暮らしの中で育まれてきた陶器だ。壺屋陶器事業協同組合によれば、壺屋焼の歴史は琉球王国1時代に遡るという。14世紀から16世紀の貿易が盛んだった時代には、中国や東南アジアのやきものが多く持ち込まれた。こうした交流を通じて、沖縄には多様な陶磁文化が形成されていった。
「海外貿易が徐々に衰退していき、1609年になると薩摩2が琉球を勢力下におくようになります。その後、産業振興を図った尚寧王3と佐敷王子(後の尚豊)4が薩摩を通じて朝鮮半島由来の陶工を招き、製陶技術の導入と発展に力を注ぎました」
1682年には、沖縄市の知花窯、首里の宝口窯、那覇市の湧田窯など、各地に点在していた工房が那覇市の壺屋に集められ、王府管理のもと「壺屋焼」の体制が整えられた。陶工に土地や窯を与え手厚く保護し、その結果、多くの名工が誕生し、功績を称えられ士族に取り立てられる者もいたという。やがて壺屋は琉球王国を代表するやきもの産地として発展していく。
「壺屋焼は、素焼きをしないことで柔らかさや独特の風味を出すやきものです。粘土に直接釉薬5を施し約1,200度で焼成6する「上焼」と、釉薬を用いず比較的低温で焼かれる「荒焼」に大別されます。上焼は、碗や皿、壺など日常使いの器が中心で、現在の壺屋焼の主流となっています。一方、荒焼は酒甕や水甕などの大型容器に用いられました。いずれも沖縄各地に分布する良質な陶土、特に赤土の性質を活かしたやきものであり、土の持つ力強さと温かさを活かした陶器となっています」

時代が下り第二次世界大戦後には、那覇市の復興が進む中で薪窯による煙害が問題となり、壺屋での薪窯使用が禁止された。これを契機に、人間国宝の金城 次郎7をはじめとする多くの陶工たちが読谷村へ移り住み、同地は次第に「やちむんの里」として知られるようになった。伝統工芸の土壌と良質な陶土に恵まれた読谷村を起点として、壺屋焼の技と精神は沖縄本島各地や離島へと広がっていった。
「壺屋焼には壺や茶碗といった日常使いの器に加え、屋根などに置かれ魔除けとされる「シーサー(獅子)」や、元々は携帯用の酒器で現在では一輪挿しとして使われる「抱瓶」、倒れにくい構造を持つ酒器「カラカラ」など、沖縄の暮らしと結び付いた陶器が数多く見られます。これらは沖縄の暮らしの中で使われ続けており、今も沖縄の文化と生活に寄り添い続けているのです」


多彩な装飾技法や島の自然素材を活かした制作環境の中で育まれてきた壺屋焼は、沖縄の風土と人々の暮らしを映すやきものとして、現在も受け継がれている。
「毎年11月下旬に開催される「壺屋陶器まつり」は、窯元がお手頃な産地価格で販売する盛大な陶器市です。職人たちによる陶芸競技大会やろくろ体験など様々なイベントを行っていますので、ぜひ遊びに来て、やちむんの世界に触れてみていただきたいです」
- 1. 1429年に尚巴志が沖縄本島を統一して樹立した王国。1879年に日本政府によって現在の沖縄県が設置されるまで、約450年間にわたり海洋王国として中国や日本、東南アジア諸国との貿易を通じて繁栄した。
- 2. 旧国名の一つ。現在の鹿児島県西部にあたる。
- 3. 琉球王国第二尚氏王統の第7代国王。在位1589年から1620年。
- 4. 琉球王国第二尚氏王統の第8代国王。在位1621年から1640年。
- 5. 陶器の表面にかけるガラス質の溶液のこと。
- 6. 成形した陶土を窯で焼き固める工程のこと。
- 7. 金城 次郎(1912年生まれ、2004年没)は壺屋焼を代表する陶工の一人。1985年に重要無形文化財「琉球陶器」の保持者(人間国宝)に認定された。
By MOROHASHI Kumiko
Photo: PIXTA

