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メディア別の政府広報

内閣府大臣官房政府広報室が企画・制作した各種広報をメディア別に紹介しています。

音声広報CD「明日への声」

vol.43(平成27年(2015年)6月発行)

音声広報CD「明日への声」のHTML版をトラックナンバーごとにご覧いただけます。こちらから移動できます。
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トラックナンバー6

(タイトル)小倉百人一首を楽しむ

(イントロダクション)

このコーナーでは、かるたとして古くから親しまれ、学校の教材としても使われることが多い「小倉百人一首」について、毎回2首ご紹介します。
「小倉百人一首」は、鎌倉時代の歌人、藤原定家によってまとめられた歌集で、飛鳥時代後期から鎌倉時代初期、7世紀から13世紀までの100人の有名な歌人の歌が一首ずつ選ばれています。そこには、美しい日本の四季、人の喜びや悲しみ、恋する気持ちなどが歌われています。

(本文)

まずは、乙女の辛い恋心を詠んだ歌を一首。

こぬひとをまつほのうらのゆうなぎに
やくやもしほのみもこがれつつ

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに
焼くや藻塩の身もこがれつつ

詠み人 権中納言定家(ごんちゅうなごんていか)

この歌は、「いくら待っても来ない人を待つ私は、まつほの浦の夕凪に海辺で焼く藻塩のように、恋に身を焦がしています」という意味です。百人一首の選者である定家自らが選んだ自作の歌で、来ぬ人を待つ海女の恋心を詠んだとされています。「まつほの浦」とは、兵庫県淡路島北端にある海岸です。「まつ」は、樹木の「松」と恋人を「待つ」の掛詞です。また、つれない恋人を待ち続ける切ない気持ちを、「思いこがれる」と藻塩が「焼け焦げる」という掛詞を用いて、巧みに表現しています。
定家は、平安時代を代表する歌人である藤原俊成の息子で、父譲りの歌の才能を10代の頃から発揮していました。この歌は定家が55歳のときに詠んだと言われていますが、中年の男性が詠んだとは思えないほど、見事に乙女の辛い恋心を海辺の寂しげな情景の中に映し出しています。
それでは、もう一度、お聞きください。

こぬひとをまつほのうらのゆうなぎに
やくやもしほのみもこがれつつ

続いて、俗世界からの逃避願望を詠んだ歌を一首。

よのなかよ みちこそなけれ おもいいる
やまのおくにも しかぞなくなる

世の中よ 道こそなけれ 思い入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

詠み人 皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜい)

この歌は、「ああ、この世の中には辛さを逃れる道はないのだなあ。こんな山奥にも鹿の悲しげな鳴き声がしているよ」という意味です。作者の皇太后宮大夫俊成とは藤原俊成のことです。つまり、前の歌の作者・藤原定家の父親です。
作者が27歳のときに詠んだこの歌には、出家願望が込められています。歌が詠まれた平安末期は新しい勢力が台頭した頃で、藤原氏にとっては暗雲が垂れ込めた時期でした。早くに父を亡くした俊成は、世のはかなさや無常観に捉われやすい若者だったのでしょう。しかし、その後の俊成は和歌の道を極め、歌の才能を引き継ぐ息子に恵まれ、91歳で長寿を全うしました。終生歌を愛し、息子により自作の歌が百人一首に選ばれるなど、歌人としても父としても、幸福な人生だったのではないでしょうか。それでは、もう一度、お聞きください。

よのなかよ みちこそなけれ おもいいる
やまのおくにも しかぞなくなる

(エンディング)
いかがでしたか。今回は親子二代の歌を紹介しましたが、歌の背景として作者の生い立ちや人間関係を知ると、また違った観賞が楽しめますね。新しい季節が訪れる静かな夜に、古の人の心情に共感してみるのもよいですね。

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