メディア別の政府広報

内閣府大臣官房政府広報室が企画・制作した各種広報をメディア別に紹介しています。

音声広報CD「明日への声」

vol.44(平成27年(2015年)7月発行)

音声広報CD「明日への声」のHTML版をトラックナンバーごとにご覧いただけます。こちらから移動できます。
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トラックナンバー7

(タイトル)小倉百人一首を楽しむ

(イントロダクション)

このコーナーでは、かるたとして古くから親しまれ、学校の教材としても使われることが多い「小倉百人一首」について、毎回2首ご紹介します。
「小倉百人一首」は、鎌倉時代の歌人、藤原定家によってまとめられた歌集で、飛鳥時代後期から鎌倉時代初期、7世紀から13世紀までの100人の有名な歌人の歌が一首ずつ選ばれています。そこには、美しい日本の四季、人の喜びや悲しみ、恋する気持ちなどが歌われています。

(本文)

まずは、恋に生きた女性の歌を一首。

あらざらん このよのほかの おもいでに
いまひとたびの あうこともがな

あらざらん この世のほかの 思い出に
今ひとたびの 逢うこともがな

詠み人 和泉式部(いずみしきぶ)

この歌は、「私の命は長くはありません。せめてあの世への思い出に、もう一度あなたに逢いたいものです」という意味です。作者の和泉式部は、後拾遺和歌集などの勅撰集に250首近くの歌が収められている一流歌人です。また、恋愛経験が豊富で、『和泉式部日記』は、恋人の為尊親王を亡くした後、為尊親王の弟の敦道親王に心惹かれていく様を描いた情熱的な作品として有名です。この歌も恋に生きた和泉式部らしい歌と言えるでしょう。
不幸なことに、和泉式部は、恋人たちを相次いで亡くし、晩年には娘の小式部内侍に先立たれています。人の命のはかなさを誰よりも知っていた和泉式部ですが、自分が死の床についてなお、恋人への強い想いを歌にするとは、さすが平安随一の恋多き歌人といったところでしょうか。
それではもう一度聞いてみましょう。

あらざらん このよのほかの おもいでに
いまひとたびの あうこともがな

続いては、和泉式部の娘による、機知に富んだ歌を一首。

おおえやま いくののみちの とおければ
まだふみもみず あまのはしだて

大江山 いく野の道の 遠ければ
まだふみも見ず 天の橋立

詠み人 小式部内侍(こしきぶないし)

作者の小式部内侍は、優れた歌人である母を持ったばかりに、素晴らしい歌を詠んでも「和泉式部に代作してもらっているのでは?」と陰口を叩かれていました。この歌は、歌合の歌人に選ばれた小式部内侍を、藤原定頼が「おかあさまのいる丹後への使者はまだ戻りませんか。さぞ心配でしょう?」とからかったのに対して、「母のいる丹後の国へは、大江山を越え、生野を通っていく道が遠いのでまだ行っておりません。天橋立を踏んだこともありませんし、母から手紙をもらっていませんよ」と即座に返したものです。丹後への道中の名所や縁語を用いて、スラスラと歌を詠んだ小式部内侍に、定頼は返歌ができず退散します。このとき小式部内侍はまだ15歳だったと言われています。代作の疑いを晴らしたのみならず、自身の才能を絶賛されるきっかけになった歌です。
それでは、もう一度聞いてみましょう。

おおえやま いくののみちの とおければ
まだふみもみず あまのはしだて

(エンディング)

いかがでしたか? 前号の「父と息子」に続き、今号では「母と娘」の歌を紹介しました。恋と歌の人生を謳歌した母と、「私は私」とプライドを持って生きた娘。夏休みに百人一首をひもとき、平安を生きた母娘の生き様や心情に思いを馳せてみるのも素敵ですね。

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