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メディア別の政府広報

内閣府大臣官房政府広報室が企画・制作した各種広報をメディア別に紹介しています。

音声広報CD「明日への声」

vol.45(平成27年9月発行)

音声広報CD「明日への声」のHTML版をトラックナンバーごとにご覧いただけます。こちらから移動できます。
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トラックナンバー6

(タイトル)小倉百人一首を楽しむ

(イントロダクション)

このコーナーでは、かるたとして古くから親しまれ、学校の教材としても使われることが多い「小倉百人一首」について、毎回2首ご紹介します。
「小倉百人一首」は、鎌倉時代の歌人、藤原定家によってまとめられた歌集で、飛鳥時代後期から鎌倉時代初期、7世紀から13世紀までの100人の有名な歌人の歌が一首ずつ選ばれています。そこには、美しい日本の四季、人の喜びや悲しみ、恋する気持ちなどが歌われています。

(本文)

まずは、しのぶ恋に心乱される男性の歌を一首。

みちのくの しのぶもぢずり たれゆえに
みだれそめにし われならなくに

みちのくの しのぶもぢずり たれ故に
乱れそめにし われならなくに

詠み人 河原左大臣(かわらのさだいじん)

「しのぶもぢずり」とは、現在の福島県で染められた布の乱れ模様のことです。その「“しのぶもぢずり”の模様のように心が乱れているのは、他でもない、あなたのせいです」という意味です。作者の河原左大臣は源融といい、嵯峨天皇の皇子で左大臣まで務めました。京都の鴨川に、河原の院という大きな別荘を持っていたことから、河原左大臣と呼ばれていました。河原の院の庭は、「前代未聞のぜいたく」と言われるほど評判で、当時、日本一美しいとされていた奥州・塩釜の風景をそっくり再現していました。毎月30石、およそ5,400リットルの海水を大阪から運ばせ、池には海の魚を飼い、塩焼きの煙の風情を楽しんでいたようです。河原の院は当時の風流人たちのサロンとなり、多くの人がこの庭に集っていました。
それではもう一度聞いてみましょう。

みちのくの しのぶもぢずり たれゆえに
みだれそめにし われならなくに

続いては、河原左大臣の歌から、およそ100年後に詠まれた歌です。

やえむぐら しげれるやどの さびしきに
ひとこそみえね あきはきにけり

八重葎 しげれる宿の さびしきに
人こそ見えね 秋は来にけり

詠み人 恵慶法師(えぎょうほうし)

この歌は、「幾重にも生い茂る雑草で、この邸は荒れ果てて、今は訪れる人もいない。そんな庭にもひそかに秋は訪れています」という意味です。この荒れはてた邸とは、世に豪勢さを鳴り響かせていた、あの河原の院なのです。この頃は、河原左大臣のひ孫に当たる安法法師の寺となっており、彼の友人である恵慶法師がそこを訪ねたときに詠んだ歌です。
河原の院は、河原左大臣の死後、息子の昇により宇多院に献上されました。ある夜、宇多院が休んでいると、河原左大臣の幽霊が現れ、「ここは私の邸です。なぜ院がいらっしゃるのですか」と嘆きました。幽霊が出るといううわさが広がり、河原の院には人が寄り付かなくなり、荒れていったといいます。その後、寺になると、そのようなうわさは立たなくなりますが、恵慶法師はその荒廃ぶりに人の世の儚さを覚え、この歌を詠んだのでしょう。
それでは、もう一度聞いてみましょう。

やえむぐら しげれるやどの さびしきに
ひとこそみえね あきはきにけり

(エンディング)

いかがでしたか? 河原の院に因んだ歌、2首を紹介しました。歌の作者に潜む物語を知ると、より百人一首が味わい深くなりますね。静かな秋の夜に古の人に思いを馳せてみませんか。

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