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メディア別の政府広報

内閣府大臣官房政府広報室が企画・制作した各種広報をメディア別に紹介しています。

音声広報CD「明日への声」

vol.47(平成28年1月発行)

音声広報CD「明日への声」のHTML版をトラックナンバーごとにご覧いただけます。こちらから移動できます。
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トラックナンバー6

(タイトル)小倉百人一首を楽しむ

(イントロダクション)
このコーナーでは、かるたとして古くから親しまれ、学校の教材としても使われることが多い「小倉百人一首」について、毎回2首ご紹介します。
「小倉百人一首」は、鎌倉時代の歌人、藤原定家によってまとめられた歌集で、飛鳥時代後期から鎌倉時代初期、7世紀から13世紀までの100人の有名な歌人の歌が一首ずつ選ばれています。そこには、美しい日本の四季、人の喜びや悲しみ、恋する気持ちなどが歌われています。

(本文)
前号では、紫式部の歌を紹介しましたが、百人一首の作者の中には、「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルと言われている人が何人かいます。今号では、そのうちの2人の歌を紹介しましょう。
まずは、中納言行平の歌です。

たちわかれ いなばのやまのみねにおふる
まつとしきかば いまかえりこむ

たち別れ いなばのやまの 峰に生ふる
まつとし聞かば いま帰りこむ

中納言行平は、美男で有名な在原業平の兄です。この歌は、行平が因幡守に任ぜられ、都を離れるとき、別れを惜しむ人に向けて詠んだものです。歌の意味は、「いよいよお別れです。私が赴任する因幡には松の名所の因幡山があります。その峰に生える松ではないけれど、私を『待つ』とおっしゃってくださるなら、すぐにでも帰ってきましょう」というものです。
都から遠く離れた場所へ赴任する寂しさや切なさには触れず、どこか陽気な気配さえ感じさせます。行平は後年、須磨での隠遁生活を余儀なくされていた時期があり、紫式部は、そこから光源氏の須磨流しの構想を得たのではないかと言われています。都落ちした貴公子は人をひきつける魅力があるのか、須磨時代の行平と美しい海女の姉妹との悲恋を題材とした謡曲『松風』も創作されています。
それではもう一度聞いてみましょう。

たちわかれ いなばのやまのみねにおふる
まつとしきかば いまかえりこむ

続いては、元良親王(もとよししんのう)の歌です。

わびぬれば いまはたおなじ なにわなる
みをつくしても あはむとぞおもふ

わびぬれば いまはたおなじ 難波なる
身をつくしても 逢はむとぞ思ふ

元良親王は、陽成院の第一皇子です。陽成院は若い頃に荒れて帝位を放棄した人ですが、元良親王も父譲りの奔放な性格で、もっぱら恋愛に情熱を注ぎました。この歌は、宇多院の后である京極御息所に送った歌で、「私たちの“許されぬ恋”が世間に知られてしまった今は、もはや身を滅ぼしたも同じこと。難波の海に建てられた『みおつくし』という標識の名と同じように、身を捨ててでもあなたに逢いたい」という意味です。元良親王は、この京極御息所のような非常に身分の高い女性だけでなく、他にも姫君、女房などいろいろな身分の女性と恋の駆け引きを楽しみ、風流な歌を多く残しています。そんなプレイボーイぶりが光源氏と重なるのでしょう。「源氏物語」の「澪標の巻」では、光源氏が元良親王のこの歌を想起して、明石の君宛に「みおつくし」で始まる恋の歌を送るシーンがあります。
それではもう一度聞いてみましょう。

わびぬれば いまはたおなじ なにわなる
みをつくしても あはむとぞおもふ

(エンディング)
いかがでしたか? 「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルかもしれない2人の男性の歌を紹介しました。皆さんが知っている物語と百人一首のつながりを知ると、ますます興味深くなりますね。日本文学の奥深さを楽しんでみてはいかがでしょう。

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