メディア別の政府広報

内閣府大臣官房政府広報室が企画・制作した各種広報をメディア別に紹介しています。

音声広報CD「明日への声」

vol.58(平成29年(2017年)11月発行)

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トラックナンバー6

(タイトル)
小倉百人一首を楽しむ

(イントロダクション)
 このコーナーでは、かるたとして古くから親しまれ、学校の教材としても使われることが多い「小倉百人一首」について、毎回2首ご紹介しています。
 「小倉百人一首」は、鎌倉時代の歌人、藤原定家によってまとめられた歌集で、飛鳥時代後期から鎌倉時代初期、7世紀から13世紀までの100人の有名な歌人の歌が一首ずつ選ばれています。そこには、美しい日本の四季、人の喜びや悲しみ、恋する気持ちなどが歌われています。

(本文)
 今回は、秋の風物詩「もみじ」にちなんだ歌を2首紹介します。
 まずは、菅家の歌です。菅家とは「学問の神様」として知られる菅原道真のことです。

このたびは ぬさもとりあへず たむけやま
もみじのにしき かみのまにまに

このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山
紅葉の錦 神のまにまに

 この歌は、「今回の旅は急いで出発したので、神様に捧げる幣を用意することもできませんでしたが、幣の代わりにこの手向山の美しい紅葉を捧げますので、どうかお受け取りください」という意味です。幣とは絹や紙を細かく切ったもので、旅の安全を祈り、旅先で神様へ捧げていました。歌が詠まれたのは898年の秋。宇多天皇のお供をして奈良の吉野を訪れたときのことです。山を覆う色鮮やかな紅葉を見て、幣の代わりに、とひらめいたのかもしれません。
 道真は学者でしたが、宇多天皇は道真の才能を買って政治を任せます。このことで当時勢力のあった藤原氏の不満が募り、宇多天皇が退位すると、道真はあらぬ謀反の疑いをかけられ、九州・大宰府に左遷されます。そして無罪を晴らす術もないまま、失意のうちに生涯を終えます。道真の晩年の無念さを思うと、もみじの錦のようなきらめきが、より一層悲しみを深くするようです。
 それでは、もう一度聞いてみましょう。

このたびは ぬさもとりあへず たむけやま
もみじのにしき かみのまにまに

 続いては、能因法師の歌です。

あらしふく みむろのやまの もみぢばは
たつたのかわの にしきなりけり

嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は
龍田の川の 錦なりけり

 この歌は、「嵐が吹いて、三室の山の紅葉の葉が龍田川の一面に散っているが、まるで錦の織物のように美しいではないか」という意味です。もみじの躍動感をあでやかに詠んでいますが、歌合せで「もみじ」をテーマに詠んだ歌なので、実際にその様子を見て詠んだものではありません。
 能因法師は、菅原道真より100年ほど後の人で、諸国を行脚しながら歌を詠みました。この歌以外にも空想で詠んだ歌があり、おもしろいエピソードが残っています。あるとき能因法師は、都にいながら、みちのくにある関所である「白河の関」に立つ歌を思いつきます。素晴らしい歌ですが、実際にみちのくで詠んだ歌ではありません。それでは歌の値打ちが下がると思ったのか、しばらく人と会わず、顔を日に焼いて黒くしてから、「みちのくに修行に行っていた」と言って発表したのです。今なら「やらせ」と言われそうですが、風流に対する完璧主義者だったのでしょう。一生懸命に小細工する姿がユーモラスですね。
 それでは、もう一度聞いてみましょう。

あらしふく みむろのやまの もみぢばは
たつたのかわの にしきなりけり

(エンディング)
 いかがでしたか? 百人一首には、もみじを詠んだ歌が6首あります。歌が詠まれた時代や作者の心情に触れると、また違った風景が見えてきます。同じ風景を詠んだ歌の趣きの違いを味わってみるのも楽しいですね。

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